愛知県総合教育センター研究紀要 第97集
キャリア教育推進に関する調査研究
(最終報告)

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1 はじめに
 近年の産業・経済状況の構造的な変化や,雇用の多様化・流動化等を背景として,就職・進学を問わず,児童生徒の進路をめぐる環境は大きく変化しつつある。さらに,現在,児童生徒の勤労観・職業観の希薄化,社会人としての基礎的な資質をめぐる課題,高い早期離職率,「ニート」と呼ばれる若者の存在等が社会的な注目を集め,問題となっている。
 こうした状況の下で,児童生徒が「生きる力」を身に付け,社会の激しい変化に流されることなく,それぞれが直面するかもしれない様々な課題に,柔軟にたくましく対応しながら,社会的に自立可能な資質を育むキャリア教育が求められている。
 その一方で,キャリア教育の必要性は理解されながらも,現場での対応は様々であり,積極的に取り組んでいる学校とそうでない学校には大きな差があり,積極的に取り組んでいる学校でも特定の教員等の熱意と努力によるところが大きい。残念ながら,キャリア教育に対する認識が浸透していないのが実情である。

2 キャリア教育の定義
 「キャリア」とは,一般に生涯にわたる経歴,専門的技能を要する職業に就いていることなどの他,解釈や意味付けは多様であるが,その中にも共通する概念と意味がある。それは「キャリア」は「個人」と「働くこと」との関係に成立する概念であり,個人から切り離して考えられないということである。
 文部科学省「キャリア教育の推進に関する総合的調査研究協力者会議報告書」(平成16年1月)では,「キャリア」を次のように定義している。

「キャリア」の定義

 キャリア」を「個々人が生涯にわたって遂行する様々な立場や役割の連鎖及びその過程における自己と働くこととの関係付けや価値付けの累積」ととらえる。

 また,愛知県産業教育審議会答申「新しい時代に対応したキャリア教育の在り方について」(平成18年2月)では,次のように定義している。

一人一人の生き方や価値観,勤労観・職業観と深く結びつきながら,具体的な職業の選択・決定に始まり,人生において社会人,職業人として生きる過程におけるさまざまな経験をとおして人生を形成していくものである。

 つまり,「キャリア」は,人生の中で「働くこと」をどのように意味付けるかということで,人それぞれの価値観,職業観,勤労観等と結び付けながら,様々な体験を通し,時間をかけて積み上げていくものである。「キャリア」の形成に重要なのは,人それぞれが,確固たる職業観,勤労観をもち,自己の責任で「キャリア」を選択,決定することができる能力や態度を身に付けることである。
 「キャリア教育」については,先述の「報告書」では,以下のように定義している。

「キャリア教育」の定義

『キャリア』概念に基づき,児童生徒一人一人のキャリア発達を支援し,それぞれにふさわしいキャリアを形成していくために必要な意欲・態度や能力を育てる教育」,端的には,「児童生徒一人一人の勤労観,職業観を育てる教育」と定義する。

また,愛知県産業教育審議会答申「新しい時代に対応したキャリア教育の在り方について」では,

将来の生き方や社会人,職業人としての在り方を考えさせ,望ましい勤労観・職業観や,社会に貢献していく態度と時代の変化に適切に対応できる基礎的・基本的な資質と能力を育成する教育

と定義している。
 つまり,自らのキャリアを活用し,自己の現在や将来を見据える基礎・基本となる能力をはぐくむ能力のことである。

3 キャリア教育の方向
 キャリア教育を推進する上で最も重要なことは,児童生徒一人一人のキャリア発達をきめ細かく支援していくことである。そのためには,児童生徒のキャリア発達の状況を的確にとらえることが必要になる。日常の活動の様子や成果等を観察し,ポートフォリオ(*)等を活用し継続的・統合的にデータを蓄積し,教員だけでなく児童生徒も自己の発達を評価し,確認できるようにすることが求められる。
 また,「働くこと」への関心・意欲の高揚と学習意欲の向上を目指すことも,同様に重要である。キャリア教育を短絡的に就職に結び付け,教科の学習と相対立するものであるという誤解がまだあるようであるが,実は,キャリアに関する学習は,教科の学習や主体的に学ぼうとする意欲の向上に結びつき,教科の学習はキャリアに関する学習への関心・意欲につながる,相互補完的な関係にあることを理解する必要がある。
 さらに,キャリア教育は,児童生徒を一人の職業人としてとらえ,その資質・能力を高める教育活動ともとらえることができる。学校での教育において,基礎・基本の学習を徹底し,将来の専門的な知識や技能を習得する素地をつくることが大切である。そして,自立意識の涵養と豊かな人間性の育成へとつなげることが大切である。
                  (* ポートフォリオ:児童生徒の学習成果を継続的に蓄積したもの)

4 キャリア教育推進の取組
 「キャリア教育」という文言が,文部科学省関連の審議会報告等で初めて登場したのは,平成11年12月の「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」であった。そこでは,学校教育における接続の改善を図るには,小学校段階から発達段階に応じて「キャリア教育」を実施する必要があると提言されている。
 その後,平成14年11月には,国立教育政策研究所の「児童生徒の職業観・勤労観を育む教育の推進について」(調査研究報告書)で,また,平成16年1月には文部科学省「キャリア教育の推進に関する総合的調査研究協力者会議報告書」において,キャリア教育導入の経緯,「勤労観,職業観」の定義,キャリア教育導入の意義等についてまとめながら,我が国におけるキャリア教育の推進のための方策を提言している。
 平成17年11月には,文部科学省は「中学校 職場体験ガイド」の中で,同年から実施された「キャリア・スタート・ウィーク」に代表される,中学校でのキャリア教育の中核である職場体験を通した学習活動の一層の推進を図り,学校だけでなく,受入企業や家庭等での理解と協力を求めている。
 さらに,平成18年11月,文部科学省は「小学校・中学校・高等学校 キャリア教育推進の手引 −児童生徒一人一人の勤労観,職業観を育てるために−」を作成し,先の「キャリア教育の推進に関する総合的調査研究協力者会議報告書」の内容をより分かりやすく解説し,キャリア教育推進への取組をより積極的に行うことができるように,発達段階を重視した取組例を提示したり,教科の授業でのキャリア教育の実践例を掲載したりして,各学校段階におけるキャリア教育をより一層推進することを求めている。
 なお,キャリア教育に関する報告書や施策が,文部科学省からだけではなく,他省庁からも提出されている。(表1)

【表1】

年 月 キャリア教育に関する報告書・施策等
H11.12 「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」
(中央教育審議会)
H14.11 「児童生徒の職業観・勤労観を育む教育の推進について(調査研究報告書)」
(国立教育政策研究所)
H16. 1 「キャリア教育の推進に関する総合的調査研究協力者会議(報告書)」
(文部科学省)
「専門高校等における『日本版デュアルシステム』の推進に向けて」
(専門高校等における「日本版デュアルシステム」に関する調査研究協力者会議)
「若者自立・挑戦プランの更なる強化」
(文部科学大臣,厚生労働大臣,経済産業大臣,経済財政政策担当大臣,内閣官房長官)
12 「若者の自立・挑戦のためのアクションプラン」
(文部科学大臣,厚生労働大臣,経済産業大臣,経済財政政策担当大臣,内閣官房長官)
H17. 9 「若者の人間力を高めるための国民宣言」
(若者の人間力を高めるための国民会議)
10 「若者の自立・挑戦のためのアクションプラン」の強化
(文部科学大臣,厚生労働大臣,経済産業大臣,経済財政政策担当大臣,内閣官房長官)
11 「キャリア・スタート・ウィーク・キャンペーン」開始
「中学校 職場体験ガイド」
(文部科学省)
H18. 1 「若者の自立・挑戦のためのアクションプラン(改訂版)」
(文部科学大臣,厚生労働大臣,経済産業大臣,経済財政政策担当大臣,内閣官房長官)
11 「小学校・中学校・高等学校 キャリア教育推進の手引」
(文部科学省)
11 「高等学校におけるキャリア教育の推進に関する調査研究協力者会議(報告書)」
(文部科学省)
12 教育基本法の改正
H19. 3 「職場体験・インターンシップに関する調査研究 報告書」
(国立教育政策研究所)

「再チャレンジ支援」
(再チャレンジ推進会議)

「キャリア教育等推進プラン」
(内閣府)
「社会総がかりで教育再生を 第二次報告」
(教育再生会議)
学校教育法等の改正

5 当センターの取組
 当センターでは平成17年度から平成19年度の3年間で「キャリア教育推進に関する調査研究」を実施した。

 (1) 平成17年度
 研究の目標として,フリーター,ニートに象徴される若者の精神的,社会的自立の遅れや就業意識の低下の原因を探り,生徒の「生きる力」の育成を,中・高等学校を中心に学校教育の活動全体からとらえ直しを図るとともに,「キャリア教育」についての教員の意識改革と資質の向上及び各学校における取組の振興・充実を図ることを設定し,以下のような研究を実施した。

   ア キャリア教育導入の経緯と意義についての文献調査
 「児童生徒の職業観・勤労観を育む教育の推進について(調査研究報告書)」(国立教育政策研究所)及び「キャリア教育の推進に関する総合的調査研究協力者会議報告書」(文部科学省)におけるキャリア教育推進に関する提言を整理し,キャリア教育導入の経緯,「勤労観,職業観」の定義,キャリア教育導入の意義等についてまとめた。

   イ 学習プログラム枠の検討
 キャリア教育にかかわる先進的な取組例や県内の中・高等学校生徒の生活・意識の変容,勤労観,職業観の把握等を通して,キャリア教育の在り方と推進のための方策を検討し,児童生徒の実態に即した学習プログラムの開発と各学校における取組を推進するための資料等を提供することに着手した。

   ウ アンケートの作成
 県内の児童生徒の生活・意識の変容,勤労観,職業観の把握等及び教員のキャリア教育に対する意識等を調査するために,どのようなアンケート項目が必要かを検討した。

 (2) 平成18年度
 前年度の研究を基に,以下のような研究を実施した。

   ア 学習プログラムの開発
 「児童生徒の職業観・勤労観を育む教育の推進について(調査研究報告書)」(国立教育政策研究所)の「職業観・勤労観を育むための学習プログラムの枠組み(例)」で示された,小・中・高等学校の各段階で育成すべき具体的な能力・態度を念頭に,学習プログラムの開発に取り組み,既に各学校で実施している教育活動全体を,キャリア教育の観点で見直し,活動全体を有機的に関連付けることを意識して取り組んだ。

   イ キャリア教育に対する教員の意識(アンケート結果概要報告)
 愛知県における市町村立小学校,中学校及び県立高等学校の教員のキャリア教育に対する意識と各学校における取組状況を調査し,今後の「キャリア教育推進に関する調査研究」の基礎的な資料を作成する目的でアンケートを実施した。

   ウ キャリア教育実践事例
 小・中・高等学校における先進的な取組を報告した。地域や児童生徒の実態等を踏まえ,各校の創意工夫に基づいた実践を取り上げ,各学校の参考となる資料を提供した。

 以上の研究から次のことが明らかになった。
  ● 小学校での取組が少ない。
  ● 高等学校,特に普通科におけるキャリア教育への取組が少ない。
  ● 職業体験等に関して,中・高等学校で事前・事後指導の時間の確保や受入先(事業所)の開拓などに苦労している。
  ● 小・中・高等学校で,教員の意識が低い,温度差がある。
  ● 小・中・高等学校で,教員の果たすべき役割が明確でない。
  ● 小・中・高等学校で,様々な教育活動がキャリア教育に関連していることを認識していない。 

 (3) 平成19年度

 これまでの調査研究の結果,上記のような課題が明らかになったので,今年度は,各学校でキャリア教育を実践する上での参考となるものを提供するために,以下のような視点から,更に研究・開発を進めた。


   ア 学校間の連携の方法を探る。
 平成18年度に実施した当研究の「キャリア教育の推進に関するアンケート」によると,「キャリア教育の実施に当たり,小・中・高等学校の系統的な連携が必要であると思いますか」という質問に対して,81.8%が「必要」と回答し,各学校段階で,どのようなキャリア教育に関する活動を行っているかを知った上で,自校のキャリア教育を推進すれば,より一層効果のある実践に取り組むことができるという認識をもっている。しかしながら,「連携のよさは分かるが,何をどうすればよいのか分からない」「連携する時間的なゆとりがない」等の原因で,学校間の連携が取れていないのが現状である。したがって,その解決策として,学校間連携の具体的な手段と実践について研究した。

   イ 校内研修で教員の意識を高める方法を探る。
 キャリア教育に関する教員の意識を向上させるために,校内研修で活用できる方法を研究した。具体的には,キャリア教育を支援する情報集の提供,キャリアカウンセリング,児童生徒のコミュニケーション能力の向上を目指す手法や,授業場面における「4領域・8能力」の育成を念頭に置いた授業指導案の作成等を検討した。

   ウ 各校種での取組の成果・課題を調べる。
 各学校でのキャリア教育推進のための参考として,小・中・高等学校での創意工夫に基づいた実践例を取り上げ,その成果と課題を明らかにする研究に取り組んだ。
 小学校での日々の取組をキャリア教育の視点からとらえ直して,キャリア発達にかかわる四つの領域の能力が様々な場面で育まれることを確認し,その中でも特に「人間関係形成能力」を付けることを目指し,その手だてとして,「コミュニケーション力の育成」と「自己肯定感の育て方」に重点を置いた指導を展開した実践を取り上げた。
 中学校の例として,経済産業省・文部科学省・厚生労働省が連携した「地域自律・民間活用型キャリア教育プロジェクト」を活用し,商工会議所のコーディネートの下,市内小・中学校と地元産業界が連携し合ってこのプロジェクトに参加した例を取り上げた。
 また,高等学校の例として,進路指導部による学年別進路指導,1年次の「産業社会と人間」,2年次・3年次の「総合的な学習の時間」を通して,将来の職業選択を視野に入れた自己の進路への自覚を深める学習や生徒の興味・関心,個性を生かした科目選択(指導)や主体的な学習を重視するとともに,社会体験学習(インターンシップや実習体験),ボランティア活動,地域貢献活動を広く生徒に奨励し,普段のあらゆる学校行事や教育活動を通して,キャリア教育の推進を図る学校の実践を取り上げた。

   エ 高等学校普通科でのキャリア教育の推進の方法を探る。
 平成18年度に実施した当研究の「キャリア教育の推進に関するアンケート」によると,高等学校普通科では,キャリア教育の取組の必要性に関して,どの調査項目に対しても肯定的な回答の「必要である」と「どちらかと言えば必要である」を足した数値は70%を超えている。つまり,キャリア教育の意義・必要性は認識しているが,その取組が不十分であるというのが現状である。
 このような認識の基づき,高等学校普通科で,生徒が将来における社会参加を視野に入れ,大学進学の意義を理解し,目的をもって様々な活動に取り組むことができるよう,キャリア教育を一層推進・充実させるための方策を提案した。

6 現状の再考と今後の課題
 キャリア教育に関する様々な資料が作成,開発され,各学校のキャリア教育指導計画や実践例がホームページへ公開されている状況の下で,キャリア教育を実践している学校では,その手ごたえを感じ取っている。中学校では「キャリア・スタート・ウィーク」の導入で,社会とかかわる活動を通して,生徒の変容が実感されている。学校において,キャリア教育への実践意欲があれば,これらの資料を活用したその学校独自の取組を,十分に展開することが可能な状況である。
 しかしながら,キャリア教育という言葉自体は,まだ十分現場の教員には
()に落ちていないようである。キャリア教育の重要性は,学校が感じている他の喫緊の教育課題と比較すると,相対的に低い位置にあるととらえられている。また,上越教育大学大学院の三村隆男准教授の「キャリア教育は新しい教育ではない。既に行っている授業や教育活動をキャリア教育という視点で実践すればよい」という解説は,「従来の活動を新しいねらいで実践する」という趣旨であるが,実際には,キャリア教育のもつ新しさが理解されず,キャリア教育という視点をもつことなく,従来の教育活動が繰り返されているようである。
 したがって,ここで改めて,今日までのキャリア教育の意義,実践の成果等を検証し,キャリア教育が今一歩浸透していない現状を打開すべく,解決すべき課題等を明らかにして,キャリア教育のためのカリキュラムや指導方法の開発や評価方法等の在り方を検討することが必要であろう。

参考文献
  三村隆男(2004年)「はじめる小学校キャリア教育」実業之日本社