光明寺(こうみょうじ) <時代>江戸時代 <地域>知多
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光明寺 |
算額 |
<所在地> 南知多町豊浜(名鉄知多新線内海駅より名鉄バス 豊浜 下車徒歩10分)
<概要>
光明寺は正式には成道音山光明寺と号し,浄土宗に属する。本尊は阿弥陀如来である。光明寺の由来は,漁師が網にかかった仏像をまつるために祠(ほこら)をつくったのが始まりといわれ,善光庵と呼ばれていた。1469年(文明元)に虎得上人(ことくしょうにん)が寺院を建立して光明寺とした。
光明寺の薬師堂は,豊浜の小佐地区にあり「小佐の薬師堂」として厚い信仰を得ていた東方寺から移築したもので,堂内には,当地域の有力氏族であった千賀氏の奉納による「天井絵」などがある。
中でも注目したいのは当寺に納められている算額である。算額とは,江戸時代に発達した日本独自の数学である「和算」をまとめ,社寺に奉納したものである。光明寺に残る算額は,全国で四番目,県下では最古とされる貴重なもので,県指定文化財となっている。この算額は江戸時代の中期の1752年(宝暦2)に関孝和の弟子に教えを受けた内海出身の榎本犀助と大岩久次郎が奉納したもので,両名が野口権平治の問いに対する回答三題と自問自答一題を墨で杉板に図を交えて説明したものである。保存状態もよく,和算の内容と算法の継承を知る上で貴重な資料と言われている。
<学習のポイント>
和算の歴史について調べてみよう。
全国の神社・仏閣に奉納されている算額について調べてみよう。
<見学のポイント>
この他,内海の泉蔵院や,野間の大御堂寺にも算額が奉納されている。特に泉蔵院の算額は光明寺のものに次いで県下で二番目に古く,和算の発達の歴史を知る上で貴重である。
<参考資料>
「南知多町誌」
<問い合わせ先・ホームページ>
光明寺
南知多町教育委員会 0569−65−0711
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