知多地方と万葉集  <時代>奈良時代  <地域>知多
豊浜港に建つ万葉の碑 万葉歌碑

<所在地> 南知多町豊浜港(名鉄内海駅下車 南知バスコミュニティーバス荒磯下車 徒歩5分)
<概要>
 戦後,東海地方の万葉研究の発展はめざましく,新しい考古学や先史地理学の成果も取り入れ,実地調査を重ねて多くのことが解明されてきた。古来より知多半島は白砂青松(はくしゃせいしょう)の非常に景色の美しい地であり,これまで多くの歌人に歌われている。現在までの研究では,万葉集におさめられた歌と結び付くと認められたのは五首みられる。その中で,あじの住む渚沙の入江の荒磯松 吾を待つ児らはただ一人のみ(アジカモの住む渚沙の入江の荒磯の一本松のように,私を待つ少女はあなたただひとりです)と歌われた「渚沙」(すさ)は現在の南知多町豊浜の須佐と考えられている。緑と褐色の崖,コバルトの海,入江に沿った家並み,そして多くの島々。そこでは古くから漁や塩づくりが盛んに行われ,人々の生業(なりわい)としてきた歴史がある。
<学習のポイント>
 日本最古の和歌集である万葉集に知多地方の風景も詠まれている具体例としてぜひ取り上げたい。 
<見学のポイント>
 ここに取り上げた須佐海岸(南知多町)の他,篠島(南知多町)や現在は臨海工業地帯になっている古見(こみ)海岸(知多市)や加家(かけ)海岸(東海市)なども取り上げられている。なお,篠島には「万葉の丘」とよばれる公園が整備され,万葉歌碑も建てられている。
<参考資料>
「知多半島の歴史」「南知多町誌」
<問い合わせ先・ホームページ>
東海市教育委員会 (052)603-2211

愛知エースネットへ      トップへ