条理制(じょうりせい)遺構  <時代>奈良時代  <地域>知多
マス池全景

<所在地> 常滑市大塚177(名鉄常滑線大野町駅下車徒歩20分)
<概要>
  645年(大化元),大化改新(たいかのかいしん)で蘇我氏を滅ぼした中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)らは改新の詔(みことのり)を出し,国造りの方針を明らかにした。その後,大宝律令の完成によって律令国家制度が整った。その際,国のものとされた土地を,法律によって定められた条理制によって分割し農民に口分田(くぶんでん)という土地を貸し与え,税を課していった。口分田は一辺を 109m程の正方形に区切られた土地で,その遺構と考えられる地割りが条理遺構である。濃尾平野に残されたものが有名であるが,知多半島の狭い平野(東海市,知多市,常滑市,阿久比町,武豊町,美浜町など)にも数十坪の遺構が確認できる。なお,常滑市にはほぼ1坪分の広さを持つ「マス池」と呼ばれるため池も残されている。
<学習のポイント>
 律令制度の学習において,班田収授の基本となる口分田を学習する際の具体的な例として郷土に残る条理遺構を取り上げたい。さらにその発展として,一辺 109mもの巨大な方形をどうやって測量したのかを考えさせ,渡来人の技術伝来とも合わせて学習させたい。
<見学のポイント>
 常滑市金山地区には,通称「マス池」と呼ばれるほぼ一坪のため池が残る。現在は区画整理も進み,当時の土地区割は見られないが,「土地宝典」等の資料などから短冊状に区切られた口分田の名残をうかがい知ることができる。
<参考資料>
「常滑市史」「阿久比町誌」「知多市史」「阿久比のあゆみ」
<問い合わせ先>
常滑市教育委員会(0569)35ー5111

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