赤レンガ広場  <時代>昭和時代  <地域>知多
今も残る機銃掃射のあと 戦没者慰霊碑(雁宿(かりやど)公園)

<所在地> 半田市住吉町(名鉄河和線住吉町駅下車徒歩5分)
<概要>
 1944年(昭和19),サイパン島が陥落すると,ここを基地としてアメリカの爆撃機B29による本土空襲がひんぱんに行われるようになった。この地方でも,東南海地震の恐怖もさめやらぬ12月13日,名古屋の三菱重工業を標的にした集中爆撃を皮切りに連日の空襲を受けた。特に全国生産の六割をしめる名古屋を中心とする航空機産業には徹底的な爆撃が加えられた。
知多半島でも特に軍需工場が身近にある地域は,空襲におびえる日々が続いた。半田市では高性能偵察機「彩雲(さいうん)」生産の中心工場であった中島飛行機半田製作所が攻撃目標にされた。1945年(昭和20)7月24日,B29が78機も飛来し,250キロ爆弾や1トン爆弾を多数投下した。さらにその直後に小型戦闘機が多数飛来し,機銃掃射を浴びせ,死傷者を増大させた。

<学習のポイント>
 第二次世界大戦の学習で,国民の生活が破壊されていった状況をつかませるために具体的な例としてつかませたい。また,これに合わせて戦争体験の聞き取り調査や戦没者の墓誌調査等を行い,戦争の悲惨さをつかませるとともに,平和国家建設への意欲付けとする。
<見学のポイント>
 半田市の施設として現在整備が行われている「赤レンガ広場」には,機銃掃射を受けた際の弾痕が現在も残されている。また,雁宿(かりやど)公園には戦没者慰霊碑が建てられている。
<参考資料>
「知多半島の歴史」「新修半田市史」
<問い合わせ先・ホームページ>
半田市教育委員会 0569-21-3111 http://www.city.handa.lg.jp/

愛知エースネットへ      トップへ