新舞子海水浴場(しんまいこかいすいよくじょう) 〈始まり〉明治時代 〈地域〉知多
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昭和13年頃 |
昭和30年頃 |
〈関係地〉知多市新舞子(名鉄常滑線新舞子駅下車5分)・長浦(ながうら)・古見(こみ)
〈概要〉
三方を海で囲まれ,気候の温暖な知多半島は江戸時代の頃から名古屋近在の人々の保養地として親しまれてきた。
1912年(明治45)に伝馬町(名古屋市)〜大野町(常滑市)間に鉄道が開通し,これを契機に新舞子(知多市)や大野(常滑市)が海水浴場として栄えるようになった。瀬戸内海の舞子の浜に似ているところから名づけられた新舞子海岸は,浜辺の老松が潮風に揺れ,根上りの松の珍しい景観もあり海水浴客で賑わいを見せた。同様に新舞子の北に位置する長浦・古見の海岸も海水浴場として栄え,海水浴旅館が軒を並べていた。とりわけ新舞子は遠浅で長汀という好条件を備え,知多半島でも有数の海水浴場となり,昭和30年代に最も賑わいを見せた。しかし,1962年(昭和37)から始まる工業地帯造成の埋め立て工事により,砂浜は消滅し,知多市の海水浴場は工業地帯へと姿を大きく変化させた。
現在,新舞子の対岸にある埋立地(南5区)には,人工海岸「新舞子マリンビーチ」があり,海水浴に訪れる人々で賑わいを見せている。
〈学習のポイント〉
かつて海水浴がさかんだったころの知多のようすを探ってみよう。
昔と現在の観光産業の特色の違いを探ってみよう。
〈参考資料〉
「知多市誌」
〈問い合わせ先・ホームページ〉
知多市歴史民俗博物館 0562-33-1571 http://www.city.chita.aichi.jp/kyouiku/syougai/hyu-tory/index.html
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