帝井(みかどい) 〈時代〉南北朝時代 〈地域〉知多
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帝井 |
帝井の岩畳(いわだたみ) |
〈所在地〉南知多町大字篠島字照浜16-1(名鉄河和線河和駅下車,名鉄海上観光船篠島港下船,徒歩10分)
〈概要〉
南北朝時代の1338年(延元3),後醍醐天皇の皇子,義良(のりよし・のりなが)親王が東北地方へ遠征の途中,暴風雨に遭い篠島に漂着した。親王が篠島に滞在されていた当時,島には幾つかの井戸はあったが,水量が少なく塩分の多い井戸水ばかりで,飲料水には不向きであった。そこで,島の人たちが手分けして探したところ,医徳院の近くの茂みの奥深い中に,こんこんと湧く清水を発見した。これが帝井のはじまりである。汲んだ水は,義良親王の滞在する城山(しろやま)の王宮まで運んで,飲料水として使用した。
篠島に約半年間滞在された後,吉野に帰った義良親王は即位(そくい)し,1339年(延元4),第97代後村上天皇となった。それ以来この井戸を尊称して,帝井と呼ぶようになった。今でも南北朝時代そのままの井戸の形をとどめている。
〈学習のポイント〉
南北朝時代の頃の北朝側と南朝側の対立について調べてみよう。また,現在,篠島の水がどこから来ているのか考えてみよう。
〈参考資料〉
「篠島史蹟」
〈問い合わせ先・ホームページ〉
篠島観光協会 0569-67-3700 http://www.shinojima-aichi.com
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