細井 平洲(ほそいへいしゅう)−農民にも学問を−  <時代>江戸時代  <地域>知多
細井平洲像 「学思行」の石碑

<関係地> 平洲記念館(東海市荒尾)名鉄常滑線太田川駅 徒歩20分
<業績>
 細井平洲は,1728年(享保13)に知多郡平島町の農家に生まれた。幼少の名を甚三郎と言い,7歳の時から寺子屋へ通って勉強をしていた。その後,9歳で名古屋に出て学問を積み,私塾を開く。彼の教えは分かりやすく多くの人々を引き付け,やがて米沢主上杉鷹山の大切な相談役として重用され,藩財政の建て直しに活躍する。
 平洲はまた,武士ばかりでなく農民や町民にも学問を教え,多くの人々から慕われた。その後,平洲は尾張藩に帰郷し,藩校「明倫堂」を開設し,武士ばかりでなく町人も講義を聴ける日を設けた。「人はみな学ぶことによって正しい人の道を知ることができる」平洲は最後までこの信念を貫き通した。  
<年譜>
1728年(享保13)東海市荒尾町の農家に生まれる
1751年(宝暦 1)江戸に出て「嚶鳴館」を開く
1771年(明和 8)米沢藩主上杉鷹山に仕え,藩士らを教育する
1780年(安永 9)尾張藩主徳川宗睦の師となる
1783年(天明 3)尾張藩校「明倫堂」総裁となる
1801年(享和 1)73歳で没

<学習のポイント>
 細井平洲は江戸時代の儒学者として,藩政改革の教学面の指導者として活躍した。江戸後期の藩政改革の代表例として米沢藩と彼の教えをぜひ取り上げたい。
<見学のポイント>
 東海市には「平洲記念館」が建てられており,彼の業績を詳しく調べることできる。記念館入口階段の横にある「学思行」の石碑は,「学思行相まって良となす」(学問をするということは,知識を得るためだけのものではなく,学んだことを生活に生かしてよりよくしていくこと)と説いたものである。

<参考資料>
「愛知に輝く人々5」
<問い合わせ先・ホームページ>
東海市教育委員会  0562-33-1111
平州記念館  052-604-4141  http://www.medias.ne.jp/~heishuu/kinenkan01_001.htm

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