小栗 風葉(おぐりふうよう)−文豪風葉の”青春”−  <時代>明治時代  <地域>知多
風葉の横顔スケッチ 小栗風葉 顕彰碑

<関係地> 雁宿公園(半田市雁宿町)名鉄河和線半田駅 徒歩5分
<業績>
 1875年(明治8)に生まれた風葉は,幼いころより大変な読書好きの少年であった。13歳の時,英語教師との出会いが風葉のその後の人生を決める転機となった。彼の薫陶を受けた風葉は,父母を必死に説得し,ついに東京行きを許される。
 東京での風葉は,水を得た魚のように輝き躍動し始めた。さっそく彼は「金色夜叉」で名高い尾崎紅葉の門をたたき,その門下生となった。こうして風葉は文学修行の第一歩を始めたのである。
 しかし,当時はまだ文学活動は世間からは道楽としかみられていなかった。両親が世間をはばかる気持ちと,風葉が世間の目を開きたいと思う気持ちの葛藤が続く中,風葉は着実に実力を発揮していった。そして次々と優れた小説を世に送り出し,ついに「青春」を発表するに及んでその名声は不動のものとものとなった。
<年譜>
1875年(明治 8)半田市の薬屋の家に長男として生まれる
1887年(明治20)英語教師の野島先生と出会い,感化を受ける
1891年(明治24)尾崎紅葉の門下生になる
1896年(明治29)短編小説を次々に発表,特に「青春」は有名
1926年(大正15)51歳で没

<学習のポイント>
 郷土の生んだ文豪の活躍ぶりを通し,て明治時代の文壇の様子を知る好例として取り上げたい。
<見学のポイント>
 半田市の雁宿公園には,風葉の業績をたたえる顕彰碑が建てられている。
<参考資料>
「愛知に輝く人々5」
<問い合わせ先・ホームページ>
半田市公式ホームページ  http://www.city.handa.lg.jp/

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