蟹江 一太郎(かにえいちたろう) −トマトケチャップにかけた人生−  <時代>昭和時代  <地域>知多
蟹江一太郎 カゴメ記念館

<関係地>カゴメ上野工場(東海市荒尾町)名鉄常滑線名和駅徒歩20分
<業績>
 一太郎は1875年(明治 8),東海市名和町の農家の家に生まれた。まじめで働き者であった彼は,軍隊に入隊しても熱心に勤めを果たしていた。その姿に感心した上官から,軍隊でも使われ始めていた西洋野菜の栽培を勧められる。一太郎はトマト栽培に明け暮れた。やがて,トマトは何とか栽培できるようになったが,まだ日本人にとってはなじみの薄い野菜であったためなかなか売れなかった。そこで,彼は西洋でもトマトは生のままで食べるよりも加工してソースとしてよく使われていることを聞き,さっそくホテルから取り寄せて,トマトソース作りを始めた。何度も失敗をして,ついに現在のトマトケチャップメーカーとして現在の「カゴメ」の発展に至るのである。
<年譜>
1875年(明治 8)知多郡東海市の農家の長男として生まれる
1899年(明治32)西洋野菜の栽培に着手
1906年(明治39)工場を建設し,本格的にトマト加工に着手する
1908年(明治41)ケッチャップ製造開始
1971年(昭和46)96歳で没

<学習のポイント>
 西洋文化の吸収を食の面から取り入れた好例として取り扱いたい。
<参考資料>
「愛知に輝く人々2」
「カゴメ一太郎物語」(カゴメ記念館パンフレット)
<問い合わせ先>
カゴメ記念館(カゴメ上野工場内)

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