常滑の酒造り(とこなめのさけづくり) 〈始まり〉江戸時代 〈地域〉知多
貯蔵タンクの様子 米の蒸し器・桶

〈関係地〉常滑市小鈴谷(名鉄常滑線常滑駅より知多バス常滑南部線古場下車徒歩2分)
〈概要〉  
 知多半島の醸造業は,古くは大野(常滑市)が中心であった。17世紀後半の大野には,約30軒の酒蔵があった。
 江戸では,灘・伊丹などの上方の酒が圧倒的なシェアを誇っていたが,飲酒習慣の広がりにも押され,知多酒が注目され始めた。江戸に入る酒のうち尾張酒の占める割合は,多い時で約11%になり,尾張酒のほとんどが知多の酒であり,酒造りは知多半島全体に広がりを見せた。中でも輸送用の廻船を多く持ち,江戸に近い半島東海岸に位置した半田・亀崎が知多半島の酒造業の中心となった。常滑の酒造業は,半田ほどの華々しさはみられないが,常滑南部に徐々に有力な酒造家の成長があった。小鈴谷の盛田,坂井の陸井,古場の澤田などが有名である。
 現在も常滑市南部(南陵地区)において,清酒やたまりの醸造が行われている。

〈学習のポイント〉  
 知多半島で醸造業が発達していった背景を調べてみたい。また,江戸時代に物資が廻船を用いて運搬されていた様子について調べてみたい。

〈参考資料〉
 「常滑市誌」「知多半島が見えてくる本」

〈問い合わせ先・ホームページ〉
澤田酒造 0569-37-0733 http://www.hakurou.com

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