栄国寺(えいこくじ)  <時代>江戸時代  <地域>名古屋
栄国寺の門

<所在地> 名古屋市中区橘1−21―38 (地下鉄名城線東別院駅下車徒歩8分)
<概要>
 栄国寺は,西山浄土宗の寺である。しかし,この寺の境内には,仏教とは無縁の切支丹遺跡博物館に代表されるキリスト教関連の遺跡が多い。キリスト教は,イエズス会のフランシスコ・ザビエルが1549年(天文18)に来日してから国内に広まっていく。日本の統治者の対応は,以下のとおりまちまちであった。織田信長(おだのぶなが)は許可し,豊臣秀吉(とよとみひでよし)はバテレン追放令を出して宣教師の追放を図り,2代将軍徳川秀忠(とくがわひでただ)は,禁教令を全国に拡大した。栄国寺のある場所は,尾張(おわり)藩の刑場で千本松原と呼ばれていた。刑死者の中には犯罪者だけでなく,キリシタンも多く含まれていた。1631年(寛永8)には57人,1664年(寛文4)には200人にのぼるキリシタンの処刑がこの地で行われたことが確認されている。城と熱田を結ぶ本町通りが近くを通り,人々の往来が激しくなったためか,尾張藩2代藩主徳川光友(とくがわみつとも)は,刑場を土器野(かわらけの,現清須市)へ移した。それまでの刑死者の菩提を弔うために建立されたのが,清涼庵(せいりょうあん)であり,現在の栄国寺である。
<学習のポイント>
 キリスト教伝来からの流れを確認し,江戸幕府の鎖国体制化での禁教政策を理解させる。結局,「神の前では皆平等」という教えは,封建社会の身分制社会には合致するはずもなく,島原の乱に象徴されるように圧制に耐える農民たちの心をとらえていたことを確認する。
<見学のポイント>
 境内には,切支丹灯篭などの碑石と切支丹遺跡博物館(月曜休み,有料)がある。博物館内では,マリア観音や踏絵の実物を見ることができる。
<参考資料>
 「名古屋の史跡と文化財」 「名古屋いまむかし」 「愛知県の歴史散歩」
<問い合わせ先>
 栄国寺

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