熱田神宮(あつたじんぐう)  <時代>古墳時代  <地域>名古屋
熱田神宮本殿

<所在地> 名古屋市熱田区神宮1-1-1 (名鉄名古屋本線神宮前駅下車徒歩1分)
<概要>
 記紀(古事記・日本書紀)によると,12代景行(けいこう)天皇の皇子,日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国に遠征する途中に伊勢神宮(いせじんぐう)に立ち寄り,叔母の倭媛命(やまとひめのみこと)から剣と火打石を授かった。
 駿河(するが)でのこと,敵は偽って降伏し,野に誘い出して四方から火を放った。この時に剣で草を薙(な)ぎ払い,火打石を打つと火は敵を焼き滅ぼしたという。以後,事件のあった地を焼津(やいづ)といい,剣を草薙剣(くさなぎのつるぎ)と呼んだ。
 東国から大和に帰る途中,日本武尊は尾張国造(おわりのくにのみやつこ)の娘,宮簀媛命(みやずひめのみこと)をめとる。ところが,剣を媛に預けて伊吹山(いぶきやま)へ平定に向かった際に山の神の祟りで病にかかり,三重県の能煩野(のぼの)で没した。その後,媛が小社を建てて草薙剣を祀ったのが熱田神宮の起源であるといわれている。
<学習のポイント>
 日本武尊の神話は,大和王権(やまとおうけん)の地方征服に活躍した大和の無数の勇者を1人の英雄に形象化されたことが理解できる。「宋書倭国伝」(そうじょわこくでん)の「倭王武の上表文」(わおうぶのじょうひょうぶん)を用いても参考になる。
<見学のポイント>
 神宮会館の窓越しから見ることのできる市内最大のクスノキや,織田信長(おだのぶなが)が桶狭間(おけはざま)の戦いの際に勝利を祈願し,戦勝の結果奉納した信長塀,名古屋甚句(名古屋の民謡)の中で,西行(さいぎょう)法師が腰を掛けた,という伝承をもつ市内最古の「石橋」である二十五丁橋(にじゅうごちょうばし)など見所が多い。
<参考資料>
 「熱田区の歴史散歩」 「熱田区誌」 「愛知県の歴史散歩」 「名古屋の史跡と文化財」
<問い合わせ先>
 熱田神宮

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