橘 宗一少年の墓(たちばなむねかずしょうねんのはか) <時代>大正時代 <地域>名古屋
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橘宗一少年の墓(日泰寺墓地内) |
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<所在地>名古屋市千種区自由ケ丘1(地下鉄東山線覚王山駅下車徒歩30分)
<概要>
橘宗一少年は,1917年(大正6)にアメリカ移民の父と大杉栄(おおすぎさかえ)の妹との間に長男として生まれた。
1923年(大正12),家族はアメリカから日本に帰国する。しかし,その年の9月1日に関東大震災が発生する。その際に少年は,横浜に滞在していた。おじの大杉栄に預けられていたのである。
大杉は無政府主義者で,当時の政府に警戒されていた人物の一人である。大震災の混乱の中,東京憲兵隊分隊長,甘粕正彦(あまかすまさひこ)は,大杉と青鞜社(せいとうしゃ)に参加し,婦人解放運動や社会主義運動に活躍した伊藤野枝(いとうのえ)と,この橘少年を逮捕し,虐殺した。世に言う「甘粕事件」である。
少年の墓は,昭和初期に父親により建てられた後に放置されていたが,現在は覚王山日泰寺墓地内に置かれている。
<学習のポイント>
甘粕は軍法会議で懲役10年の判決を受けたが,後に半減され,出獄後に満州(まんしゅう)で実力者となる。
「社会主義」が,治安警察法(ちあんけいさつほう)で弾圧されていた時代背景を理解しよう。
また,伊藤野枝が属した青鞜社について調べてみよう。
<見学のポイント>
少年の墓は,日泰寺の墓地内で見ることができる。現在では,墓の保存会が結成されている。
<参考資料>
「名古屋いまむかし」
<問い合わせ先>
日泰寺
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