新愛知新聞 (昭和11年2月10日) |
正面入り口より3塁側スタンドを望む |
<概要>
野球熱の高まりという時代背景を受け,「東の神宮球場,西の甲子園球場に匹敵する球場を」と望まれ,1927年(昭和2)愛知電気鉄道(現名古屋鉄道)の沿線開発の一環として名古屋市郊外に設けられた。
両翼106m,中堅136mと甲子園球場より大きく,最盛期には,伊吹スタンドなる銀屋根も設置され,観客収容数は約2万人であった。1931年(昭和6)と1934年(昭和9)の日米野球にも使用され,
ルー・ゲーリックやベーブ・ルースも訪れている。
また,1936年(昭和11)2月9日には,日本最初のプロ野球(職業野球)の試合である東京巨人軍対名古屋金鯱軍が開催され,初のラジオの実況中継も行われている。
球場の完成以降,中等学校野球(現高校野球)の愛知県予選はすべてここで開催され,中京商業(現中京大中京高校)が1931年から全国大会3連覇した時もこの球場からであった。
戦後,1948年(昭和23)に中日スタヂアムができるまで,地元ドラゴンズのホームグランドとしても愛用されていたが,1958年(昭和33)に閉場され,現在は自動車学校となっている。
<学習のポイント>
名古屋地区のプロ野球の歴史を追ってみよう。
日米野球のころの社会情勢や戦争と職業野球の関係を調べてみよう。
自動車学校への転換、自動車免許取得者の増加と高度経済成長について考えてみよう。
<見学のポイント>
当時のスタンドを使った車庫や敷地の形がそのまま残っています。
住宅地図などで、地形を確認してみましょう。
<参考資料>
「名鉄自動車学校三十年のあゆみ」
<問い合わせ先・ホームページ>
名鉄自動車学校 http://www.meitetsu.ac.jp/mdsl/guide/narumi.html