松重閘門(まつしげこうもん)  <時代>昭和時代  <地域>名古屋
松重閘門 中川運河(小栗橋より)

<所在地> 名古屋市中川区山王1(名鉄名古屋本線山王駅下車徒歩5分)

<概要>
  中川運河は,明治時代に発達した名古屋駅と名古屋港を結ぶ運河として大正時代に計画され,1930年(昭和5)に完成した。2年後には堀川と結ぶ東支線が完成し,当時の新聞に「東洋一の大運河」と伝えられた。以後,優れた貨物輸送力と市による利用の促進もあり,運河沿いは急速に倉庫街に変わり,戦前・戦後を通じて幹線輸送路として活用され,昭和30年代に最盛期を迎えた。昭和40年代に入ると,トラック輸送の普及やコンテナ船の増大により,運河の貨物輸送量は減少の一途をたどった。昭和60年代に取扱貨物量が最盛期の10分の1にまで落ち込んだ。
  松重閘門は,堀川と中川運河東支線の水位が異なるため,水位を調節する水路を閉じる水門である。水路の両側に,2基1組の塔がそれぞれ建っている。運河の貨物輸送量の減少によって,1968年(昭和43)に閉鎖されたが,名古屋の発展を記念する近代化の遺産として市文化財に指定されている。
<学習のポイント>
  名古屋市立露橋小学校の校歌の歌詞には中川運河が登場するが,他の学校の校歌にも地元の歴史に関する歌詞がないか調べてみよう。また,中川運河の歴史を通じて,戦前・戦後の名古屋の産業・交通の発達の歴史を調べてみよう。
<見学のポイント>
  運河沿いには,昭和30年代の面影を残している場所もある。高度経済成長の時代について調べるとともに,中川運河の今後の活用方法について考えてみよう。
<参考資料>
「愛知県の歴史散歩」
「中川運河」(名古屋市土木局河川部計画課)
<問い合わせ先>
名古屋市教育委員会生涯学習部文化財保護室  052-972-3268

愛知エースネットへ      トップへ