福沢 桃介(ふくざわももすけ)−諭吉の養子で日本の電力王− <時代>大正時代 <地域>名古屋
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福沢桃介記念碑(日泰寺舎利殿内) |
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<関係地>名古屋市千種区法王町1−1(地下鉄東山線覚王山駅下車徒歩15分)
<業績>
埼玉県の貧しい農家に生まれた桃介は,慶応義塾で学問を修めていた。彼は福沢諭吉に「娘の婿になるのならアメリカに留学させてもよい」と言われ,留学先で会社経営を学んだ後に諭吉の娘と結婚した。彼は肺結核で入院中に,アメリカで学んだ知識を基に,株の売買で巨額の利益をあげた。次に彼は,新規事業の電気に注目し,名古屋電燈株式会社の株を買い占め,名古屋に乗り込んだ。1914年(大正3)に社長になった彼は,木曽川にダム建設を主張し,1924年(大正13)に日本初のダム式発電所,大井発電所を完成させた。他にも次々とダムを建設し,いつしか「日本の電力王」と呼ばれるようになった。
<年譜> |
1868年(明治元) |
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埼玉県の農家岩崎家の次男として生まれる |
1883年(明治16) |
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慶応義塾に入学 |
1887年(明治20) |
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福沢家の養子となる |
1895年(明治28) |
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肺結核で療養生活に入る |
1914年(大正3) |
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名古屋電燈株式会社社長となる |
1924年(大正13) |
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大井発電所完成 |
1938年(昭和13) |
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70歳で没 |
<学習のポイント>
福沢桃介の水力発電を導入にして,日本のエネルギーについて学習しよう。また,彼の生き方で,ベンチャービジネスを扱うこともできる。
<見学のポイント>
晩年の多くは東京で暮らしていた桃介だが,1948年(昭和15)に覚王山日泰寺舎利殿(しゃりでん)に記念碑が建てられた。また,いずれの宗派にも属さない日泰寺も見学したい。
<参考資料>
「歴史ウォッチング4」 「愛知に輝く人々7」
<問い合わせ先>
日泰寺
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