小酒井 不木(こざかいふぼく) −江戸川乱歩を指導した推理作家− <時代>大正時代 <地域>名古屋
|
|
小酒井不木の句碑(鹿島神社内) |
蟹江町歴史民俗資料館 |
<関係地>鹿島神社 海部郡蟹江町蟹江新田鹿島(近鉄名古屋線蟹江駅下車車で10分)
蟹江町歴史民俗資料館 海部郡蟹江町今蟹江浦23−4(近鉄名古屋線蟹江駅下車徒歩10分)
<業績>
小酒井不木は,日本の推理小説の草分け的存在である。名古屋で生まれ,蟹江町で育った彼は,東京帝国大学を卒業後に,東北帝国大学の教授になった医学博士でもある。彼は血清学の研究のために留学した欧米で,肺結核を患った。しかし,病床で推理小説に夢中になった。帰国後も結核のため,教壇にあまり立つこともなく,鶴舞公園の近くに住み,執筆活動に励んだ。外国の推理小説の翻訳をしながら,日本初の本格的推理小説「疑問の黒枠」を1921年(大正10)に発表した。彼のもとには後の江戸川乱歩をはじめとする,若き推理小説家たちが集まった。 しかし,病には勝てず,わずか39歳でこの世を去った。
<年譜> |
1890年(明治23) |
|
名古屋に生まれ,間もなく蟹江町に移る |
1914年(大正3) |
|
東京帝国大学へ進学する |
1917年(大正6) |
|
文部省から5か国留学を命じられる |
1920年(大正9) |
|
結核が悪化し,帰国する |
1921年(大正10) |
|
名古屋で執筆活動に入り,「疑問の黒枠」を発表 |
1929年(昭和4) |
|
39歳で没 |
<学習のポイント>
小酒井不木を導入にして,日本の文学史を学習しよう。
<見学のポイント>
鹿島神社には不木の句碑を見ることができる。彼は,現在でも名古屋に続く俳句の会の発起人でもある。また,蟹江町歴史民俗資料館に不木に関する資料が揃っている。
<参考資料>
「歴史ウォッチング2」 「愛知に輝く人々2」
<問い合わせ先>
蟹江町歴史民俗資料館 0567−95−3812
愛知エースネットへ トップへ