前畑(兵藤) 秀子(まえはた(ひょうどう)ひでこ)−前畑頑張れ,ベルリン五輪の金メダリスト− <時代>昭和時代 <地域>名古屋

ベルリンオリンピック 前畑秀子像(左)

<関係地>椙山女学園高等学校 名古屋市千種区山添2丁目2番地(地下鉄東山線 覚王山駅 下車徒歩7分)

<業績>
 「前畑頑張れ!」という日本のオリンピック実況放送でも有名である。 幼少期より数々の新記録をうち立て,女性のスポーツ選手としてもパイオニア的な役割を果たした。 1932年(昭和7),ロサンゼルスオリンピックで,銀メダルを獲得したあと引退を考えた。 しかし,当時の国際情勢により国民代表としての前畑への期待は大きく, また,母親の教えである,「自分ひとりで泳いでいるのではない」という言葉を思い出し,使命感と感謝の心から再びオリンピックへ挑戦した。コーチもなく独自に練習を工夫し,1936年(昭和11)のベルリンオリンピックで金メダルを獲得した。
 引退後,水泳コーチとして活躍し,日本で初めて「ママさん水泳教室」,「中高年水泳教室」を開設し,水泳の普及に努めた。

<年譜>
1914年(大正3年) 和歌山県橋本町に生まれる
1930年(昭和5年) 椙山女学園(女学校)の生徒となる
1932年(昭和7年) ロサンゼルスオリンピックで銀メダル獲得
1936年(昭和11年) ベルリンオリンピックで金メダル獲得
1976年(昭和51年) 名古屋市で日本初の「ママさん水泳教室」を開設
1981年(昭和56年) 五輪功労賞(世界水泳殿堂入り)
1995年(平成7年) 80歳で没

<学習のポイント>
 国威発揚としてのオリンピックと時代背景との関係を理解しよう。
 河西三省アナウンサーの実況放送における「前畑頑張れ!」について,マスコミの影響力を調べてみよう。

<問い合わせ先>
 椙山女学園高等学校  http://www.sugiyama-u.ac.jp/

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