棚橋 絢子(たなはしあやこ)−女性の高等教育の事始め− <時代>明治時代 <地域>名古屋
棚橋 絢子 名古屋市立第一高等女学校跡地碑「遥か」

<関係地>栄エンゼルパーク(学校跡地) 名古屋市栄3丁目 (地下鉄名城線 矢場町駅 下車徒歩1分)

<業績>
 幼少から父親の影響で,学問に親しみ,失明の漢学者棚橋大作と結婚し,愛知県で寺子屋や私塾などを開いた。 その後上京して,貴族の娘の家庭教師や学習院等で教師として活躍した。 58歳の時,名古屋市が高等女学校(現在の菊里高等学校)の創設を依頼し,初代「おなご校長」として評判となる。
 その後,東京高等女学校(現東京女子学園)の初代校長として65歳で就任し,100歳まで校長職にあった。 どんな時代でも男性と同じように女性も教育を受けることが大切であると教え続けた。訃報は,ニューヨーク・タイムズにも掲載された。

<年譜>
1839年(天保10) 大阪の酒造,牛尾田庄右衛門の長女として出生
1857年(安政4) 棚橋大作と結婚し,私塾,家庭教師を勤める
1872年(明治5) 名古屋市十番小学校に勤務する
1874年(明治7) 愛知県師範学校速成養成校,師範科卒業,明倫小学校に勤務する
1875年(明治8) 上京して,東京女子師範訓導を勤める
福沢諭吉らの勧めで,華族の家庭教師や諸学校の教師・校長を勤める
1896年(明治29) 名古屋市の懇願で高等女学校を創立(同31年まで校長として在職)
1903年(明治36) 東京高等女学校初代校長就任
1939年(昭和14) 101歳で没

<学習のポイント>
 同時代・同郷である早矢仕友的(はやしゆうてき),福沢諭吉とも交流があった。明治という時代背景を調べてみよう。

<参考資料>
 「初代校長棚橋絢子伝」

<問い合わせ先・ホームページ>
 東京女子学園 http://www.tokyo-joshi.ac.jp/

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