澤君遺愛の碑(さわくんいあいのひ) <時代>江戸時代 <地域>尾張
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澤君遺愛の碑(正面) |
澤君遺愛の碑(側面) |
<所在地> 稲沢市平和町大字須ヶ谷字郷(名鉄尾西線上丸渕駅下車25分)
<概要>
古代以来,尾張西部を流れる日光川は氾濫(はんらん)を繰り返し,人々の生活を脅(おびや)かしてきた。江戸時代中期以降の新田開発が行われる中で,清洲代官所の二代目代官として1785年(天明5)に就任した澤園兵衛(さわそのべえ)は,新田開発のみならず,三宅川の支流須ヶ谷川を開削して,人々の生活を水害から守り豊かにしたということで,特にその功績を賞されている。
稲沢市平和町須ヶ谷の神社の近くに遺愛の碑が,また稲沢市儀長町には園兵衛を祀(まつ)った澤園社がある。
<学習のポイント>
江戸時代の農業の発達の中で,水害を防ぐという為政者としての基本的な姿勢を貫いた澤園兵衛の功績を学び,併せて隣町の愛西市にある町方新田などの地名でも分かるように,江戸時代中期の尾張地方でも土地開発や産業の発展の重要性について学習することができる。
<見学のポイント>
遺愛碑(側面)には,澤園兵衛の功績が細やかに刻まれている。周辺の広大な濃尾平野の田畑状況を確認してみるのもよいだろう。
<参考資料>
「平和町誌」
<問い合わせ先>
稲沢市教育委員会生涯学習課 0587-32-1111
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