源氏塚(げんじづか)  <時代>平安時代  <地域>尾張
「源氏の塚」表示板 源氏公園の石碑

<所在地> 海部郡蟹江町源氏(近鉄蟹江駅下車徒歩15分)
<概要>
 1159年,後白河法皇のもとで政界での影響力を増してきた平清盛に反発した源義朝は,清盛が熊野へ向かった留守に挙兵した。しかし,すぐに引き返した平家軍に攻められ敗北した義朝は,京から逃れて杭瀬川(くいせがわ)を下って伊勢湾に出て,家臣の長田忠致(おさだただむね)を頼って尾張国知多半島野間に向かっていった。失意の源義朝が,その途中に立ち寄ったのが現在の蟹江町にあった小さな島であったと伝えられ,土地の人々は源氏島の名で呼んでいる。
 現在は,公園として整備され,地域の人々の憩いの場になっているが,その公園の一角に石碑が建てられている。
<学習のポイント>
 平安時代末の二つの大乱,1156年の保元の乱と1159年の平治の乱の対立関係に注目する。前者の後,後白河法皇は全国の支配者は自分のみであると宣言した(「兵範記」)が,実際には平清盛の台頭が著しかった。それに対し兵を挙げた源義朝の足跡をたどって,その後の源平の合戦への流れを学習することができる。
<見学のポイント>
 源氏塚の碑は,国道1号線の北数百mのところにある。現在は濃尾平野の西南部に位置するが,千年近く前はまだ伊勢湾の一部,すなわち海であったことが分かる。現在でも蟹江町は水郷地帯として知られている。
<参考資料>
 「尾張名所図会」
<問い合わせ先>
 蟹江町歴史民俗資料館 0567-95-3812

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