犬山城 <時代> 安土桃山時代  <地域>尾張
犬山城の天守閣 天守閣からの風景

<所在地> 愛知県犬山市北古券(名鉄犬山駅下車徒歩20分)
<概要>
犬山城は1537年(天文(てんぶん)6),織田信長のおじ織田与次郎信康(おだよじろうのぶやす)が現在の位置に築城した。この築城に至る70年前,応仁の乱が始まり,地方でも有力守護大名の対立抗争が激化していた。当時,犬山は,細川氏に従う管領の斯波義敏(しばよしとし)の配下にあった。山名氏の一党であった美濃の斎藤氏が尾張を侵略しようと犬山をうかがっていた。この美濃勢の動きに対抗するため,斯波氏の家臣織田広近が,犬山の木の下村に城を築き,防備を図ろうとした。木の下城は,信康が現在の位置に犬山城を築城するまでの66年間,織田一族が城主を務めた。
城の構造は三重四層といわれ,外観は3階だが内部は4階になっている。4階は「高欄の間」といわれ,廻縁からの展望は特に素晴らしく,南東に尾張富士・本宮山・白山の尾張三山が,東から北東にかけては,木曽の御嶽山・恵那山を望むことができる。さらに西に目を向けると,伊吹山をはじめ,鈴鹿山系を間近に眺めることができる。
 また,眼下には木曽川が悠然と流れ上流10kmの今渡ダム付近からの日本ライン下りは四季を通じて楽しめる。犬山城は日本最古の天守閣をもち,国宝に指定されているのは,犬山城をはじめ松本城,彦根城,姫路城の4つである。
1617年(元和(げんな)3),成瀬隼人正正成(なるせはやとのかみまさなり)が城主となってからは成瀬氏が継いで明治に至った。明治4年9代目正肥(まさみつ)のとき,廃藩置県で廃城となり天守を除いてほとんど取り壊された。同24年濃尾震災が起こり,同28年旧犬山藩主正肥に城を修理するという条件で個人所有の城として譲られた。

<学習のポイント>
最古の天守閣を持つ犬山城の見学・学習を通して,安土桃山時代に思いを馳せるきっかけ作りとしたい。

<見学のポイント>
最古の天守閣から望む濃尾平野,木曽川,小牧山城の景色から,犬山城がいかに重要な場所にあったかを確認したい。また,築城以来のスタイルを守り続ける城内の造り,天井の低さを体験し当時の城郭についての理解を深めたい。

<参考資料>
「国宝犬山城と城下町」
「犬山城場内放送原稿」

<問い合わせ先>
犬山城管理事務所 0568-61-1711

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