六体地蔵・森津の藤(ろくたいじぞう・もりづのふじ) <時代>江戸時代  <地域>尾張 
六体地蔵 森津の藤

<所在地>弥富市稲元(近鉄名古屋線弥富駅より車で20分)・弥富市森津十四丁目607(近鉄名古屋線弥富駅より徒歩30分)

<概要>
 水郷地帯であった弥富市は,江戸時代から新田開発が盛んに行われてきた。六体地蔵と森津の藤は,江戸時代の新田開発(干拓)の名残の代表的な場所である。
 六体地蔵は,稲元の墓地の一角に安置されている。稲元の開拓は1695年(元禄8)で,1706年(宝永3)に検地を受けている。二体目の石仏の背面に1705年(宝永2)の刻字があることから,開拓による犠牲者を供養したものと考えられる。知多郡大野村(現常滑市)で綿屋を営んでいた平野六兵衛秀勝(ひらのろくべいひでかつ)がこの地を開拓したことから,稲元のことを大野綿屋新田とも呼んでいた。
 森津の藤は,1647年(正保4)の森津新田開拓当時に植えられたと伝えられている。尾張名所図会に『棚の広さ縦横二十五間四面,およそ棚の高さ二間ばかりにして,花の長さ四,五尺より一間程にも及べり』と紹介され,花が満開になると昼間でも空が見えず,まるで紫の雲におおわれたようだとも記されている。
 1994年(平成6)に公園整備が行われ,花の時期には今でも大勢の人が訪れる。

<学習のポイント>
 海部郡の新田開発の歴史を調べてみよう。

<参考資料>
 「弥富の文化財」

<問い合わせ先>
 弥富市歴史民俗資料館 0567- 65-4355 

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