清洲飛行場作戦室跡(きよすひこうじょうさくせんしつあと) <時代>昭和時代 <地域>尾張
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清洲飛行場があった場所 |
清洲飛行場作戦室跡(中央の石造物) |
<所在地> あま市石作北浦 (名鉄甚目寺駅下車徒歩15分)
<概要>
清洲飛行場は,1944(昭和19)年,内務省土木部から関係地主への一方的な申渡しで,現在のあま市・清須市・稲沢市にまたがる約200haの土地に建設された。
収穫間近な小麦を引き抜いて捨てるほどの急な工事が,近隣町村の勤労奉仕隊によって進められ,10月に完成した。アメリカ軍爆撃機B29の迎撃を目的として複座戦闘機を有する飛行第五戦隊が配属されたが,終戦までの間に20〜30名が戦死した。
現在は,あま市内に作戦室跡のコンクリート作りの遺物が残るのみである。
<学習のポイント>
太平洋戦争時に内務省が担った役割,その下での一般国民の労苦,また戦場に散った若き兵士たちについて学習する。
<見学のポイント>
あま市石作北浦に残る作戦室跡の無残なコンクリートに往時を偲び,そこから南東方向の愛知県立五条高等学校まで延びていた滑走路の距離から,ブルドーザもなかった当時の人々の勤労奉仕について思いを馳せるとよい。また,近くのあま市甚目寺公民館北西隅の開拓記念碑も見学を勧める。
<参考資料>
「戦後50周年事業 甚目寺飛行場(正式名:清洲飛行場)」
<問い合わせ先>
あま市甚目寺歴史民俗資料館 052-443-0145
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