林金兵衛(はやしきんべえ) <時代>明治時代 <地域>尾張
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林金兵衛の頌徳碑 |
<所在地>
春日井市上条町2-50( 東名阪松河戸ICより車で10分)
<概要>
林金兵衛は,1825年(文政8)上条村の林家の二男として生まれた。1849年(嘉永2),父が亡くなり家を継ぐことになった。このとき父から金兵衛の名を受け継ぎ,字(あざな)を重勝とした。1858年(安政5)には,水野代官所総庄屋という地位につき,上条村をはじめ,近隣の村々の人々の生活が安定するよう力を尽くしていた。特に,明治9年から明治14年にかけて,地租改正反対運動の中心人物として知られている。
<学習のポイント>
1873年(明治6),政府は地租改正条例を布告して,国の収入の安定を図ろうとした。それは,改めて検地を実施して地価を定め,その3%を『地租』としてお金で納めさせるというものであった。これを地租改正という。地租改正は,村ごとに「地引帳」を作る仕事からはじまった。土地の評価方法をめぐって,春日井郡を担当した県の係官と,農民の代表の郡議員との間で激しく対立し,農民騒動は拡大する一方であった。明治天皇に直訴する村人たちをおさえて,林金兵衛らは国に何度も働き掛けたが,嘆願が聞き入れられなかった。林金兵衛らは,裁判による打開の道を求めたが,旧尾張藩主徳川慶勝らの説得を受けて収拾の日を迎えた。
<見学のポイント>
林金兵衛の頌徳碑がある上条は,条里制に関係があると言われている。庄内川と中央線に挟まれた地域に遺構が残されてきたが、近年の区画整理でわからなくなっている。現在、JR春日井駅のロータリーに「条里制遺構之標」と刻まれた石柱が立っている。
<参考資料>
「春日井市史」・「春日井の歴史物語」・「春日井の人物」・「春日井の地名物語」
<問い合わせ先・ホームページ>
春日井市内の文化財 http://www.city.kasugai.lg.jp/bunka/bunkazai/shinai/index.html
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