明眼院(みょうげんいん)キリシタン灯籠   <時代>江戸時代  <地域>尾張
頼朝所の石碑 キリシタン灯籠 朝鮮灯籠

<所在地> 海部郡大治町馬島 (名古屋駅発津島行き名鉄バス 大治町役場前下車徒歩2分)
<概要>
 明眼院は,正式には五太山安養寺(ごたいさんあんようじ)といい,天台宗の寺院である。802(延暦21)年に最澄の弟子聖円という僧侶によって開創されたと伝えられている。
 1518(永正15)年に後柏原天皇の眼病を,ついで1632(寛永9)年,後水尾天皇の皇子の眼病を治癒させたということで,明眼院の寺号を賜るとともに勅願所に列せられた。
 そこで,安全な寺院ということで,弾圧を受けた犬山のキリスト教徒30数人が運び込んだのが,キリシタン灯籠として残るものである。
<学習のポイント>
 勅願所ということもあり,天皇家と仏教の関わりについて考えることができる。また,江戸時代におけるキリスト教弾圧と,それに抵抗した隠れキリシタンの信仰についても学習することができる。
<見学のポイント>
 明眼院は勅願所ということもあり,広大な寺域をほこる寺院であった。寺内には,キリシタン灯籠だけでなく,小堀遠州作の庭園をはじめ,俗に朝鮮灯籠といわれるものをはじめ多くの遺物が残っている。
<参考資料>
 「大治町史」
<問い合わせ先・ホームページ>
 大治町教育委員会  052-444-2711   http://www.town.oharu.aichi.jp/

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