尾張国分寺跡  <時代>奈良時代  <地域>尾張
尾張国分寺跡の石碑 礎石

<所在地> 稲沢市矢合町内畑地(国府宮発名鉄バス矢合観音前下車15分)
<概要>
 741年(天平13)の国分寺建立の詔によって建てられた尾張の国分寺は,国府想定地とされる稲沢市松下から南西へ約4kmの矢合(やわせ)町内の畑地にあった。1961年(昭和36)に始まった発掘調査の結果,金堂跡や塔跡が確認された。金堂跡では礎石は確認されなかったが,基壇は測定の結果,東西25.6m・南北21.6mであった。また,塔は心礎のほか3個の礎石が残っている。出土した瓦は大半が奈良〜平安時代のもので,度重なる洪水で創建後まもなくして大きな被害を受けたものと考えられる。
<学習のポイント>
 鎮護国家思想の広がりの中で創建された国分寺の伽藍(がらん)や,その規模などを確認する。畑地の中に,残された礎石跡などから,文化財の保護についても考えよう。

<見学のポイント>
 国分寺旧蹟の石碑の建っている場所は,畑地の中であるが,塔の礎石はしっかりと残っている。また,周辺では瓦片も散布しているものがあるので,少し探すと手にとって確認することもできる。
 なお,現在は同名の国分寺が近くにあり,木造釈迦如来坐像などの重要文化財もある。
 さらに,国分尼寺があったと考えられる法花寺町も近くにある。
<参考資料>
「稲沢市史」「角川日本地名辞典 23 愛知県」「尾張散歩」
<問い合わせ先>
稲沢市教育委員会生涯学習課 0587-32-1111

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