大塚山性海寺(しょうかいじ)  <時代>鎌倉・室町時代  <地域>尾張
大塚山性海寺の多宝塔 本堂

<所在地> 稲沢市大塚南1丁目  (名鉄名古屋本線国府宮駅下車徒歩25分)
<概要>
 伝承によると,性海寺は818年(弘仁9),空海が建立したとされる。しかし現存の史料として初めてその名が出てくるのは1132年(長承元)で,その後13世紀半ばに良敏という僧侶が再興した。その後は,北条時頼・足利尊氏・織田敏定・浅野長政・松平忠吉・徳川義直というそうそうたる人物の保護を受けたが,18世紀になるとずいぶん困窮し,収入確保のために人形芝居の興行までしており,遂に1844年(天保15)には尾張藩から約1,000両の借金をするに至っている。
 このような歴史の下,すぐれた文化財の多数ある性海寺であるが,その白眉は大仏様(だいぶつよう)と禅宗様(ぜんしゅうよう)の強固な造りの寺院建築様式を見ることのできる,愛染明王をまつる多宝塔である。
<学習のポイント>
 性海寺の歴史を見てみると,各時代の特徴的な様相と地方の一寺院もけっして無縁でなかったことがよく分かる。その特徴的なことを把握するのに適した教材となる寺院である。
 また,鎌倉時代に伝来した寺院建築様式である大仏様と禅宗様についても直(じか)に学ぶことができる。
<見学のポイント>
 2層から成る端正な容姿の多宝塔は,釘を一切使わずに建てられたもので,素朴な中にも堅牢性を備えた建築である。
 なお,寺院建築としては本堂も重要文化財に指定されている。また,本堂裏にはこの地域の豪族の墓と考えられる大塚古墳もある。
<参考資料>
「稲沢市史」「尾張散歩」「稲沢の歴史発掘」
<問い合わせ先>
稲沢市教育委員会生涯学習課  0587-32-1111

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