石原正明の墓(いしはらまさあきらのはか) <時代>江戸時代 <地域>尾張
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石原正明の墓 |
神守宿の面影 |
<所在地> 津島市神守町石原家敷地内 (名古屋駅発津島行き名鉄バス 神守下車徒歩7分)
<概要>
石原正明は,1760(宝暦10)年に神守村に生まれ,はじめ漢学を学んでいたが,後に日本の古典研究に転じた。本居宣長の門人であったが,江戸に出て後,塙保己一(はなわほきいち)の塾頭として才能を発揮,「群書類従」の編纂に当たった。
古典研究に臨む態度や見識は,その著書「律逸」や「年々随筆」に詳しいが,特に和歌に関しては新古今和歌集の歌風を重んじ,和歌の第一義は余情と余韻にあると述べている。また,有職故実(ゆうそくこじつ)にも詳しく,「冠位通考」や「制度通考」などの著書がある。
<学習のポイント>
尾張では,本居宣長の門下生も多く,国学が非常に盛んであった。石原正明だけでなく「古事記伝」の刊行に尽力した横井千秋をはじめとして,多くのすぐれた学者を輩出した。その学問に対する情熱と,それをはぐくんだ教育環境,さらに背景となる産業経済の発達まで考えることができる。
<見学のポイント>
石原正明の墓は,佐屋街道の宿場である神守宿に程近い,御子孫の石原家の邸内にある。外からは,文政四辛巳年正月初六日没という文字を確認できるが,詳しく見たい場合には石原家の了解を得る必要がある。
なお,石原家には,短冊をはじめいくつかの遺品も残っている。
<参考資料>
「津島物語」 「日本随筆体系 年々随筆」
<問い合わせ先>
津島市教育委員会 0567-24-1111
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