殿様街道(とのさまかいどう)  <時代>江戸時代  <地域>尾張
尾張旭市柏井交差点の大楠(くすのき) 定光寺に向かう山道に敷かれた丸石

<関係地>瀬戸市

<概要>
  殿様街道とは,瀬戸街道の砂川(尾張旭市)の交差点のすぐ東側を起点とし,定光寺山門(さんもん)前で終わる,全長約13kmの道である。江戸時代には定光寺道,御成道(おなりどう)と呼ばれていたが,明治時代ごろから殿様街道と呼ばれるようになった。
  この街道は,江戸時代に尾張藩の歴代藩主や家来などが,初代藩主,徳川義直(よしなお)の墓(源敬公廟(げんけいこうびょう))がある定光寺へ墓参りに行く際に使った。年に何度か藩主の一行が行列をする際には,瀬戸,尾張旭,長久手,大森(名古屋市守山区)などから人が集まり,道を直したり,掃き清めたりしたと伝えられている。また,定光寺周辺の山林では,藩主による鹿狩りが盛んに行われ,その御狩り場(おかりば)へ行くためにも使われた。他にも水野代官所や,御林方奉行所(おはやしがたぶぎょうしょ)に行くためにも使われたと考えられる。
  現在では,区画整理や宅地開発により,街道の多くの部分がなくなっている。瀬戸街道と殿様街道との分岐点に置かれていた目印の「つんぼ石」と呼ばれる石は場所を移され,街道の起点も残っていない。ただ,尾張旭市柏井の交差点付近や,愛知環状鉄道の中水野駅近くにある東光寺の東から入る山道には,当時の街道を思わせる道が残っている。

<学習のポイント>
  江戸時代,尾張藩には五街道の東海道以外にも脇街道(わきかいどう)と呼ばれる街道がいくつもあった。それらを調べてみよう。
  また,どのような目的で道が使われていたのかや,道がどことどこをつないでいたのか考えてみよう。 自分の住んでいるところにある道の歴史を調べてみるのも面白い。
 瀬戸街道との分岐点に置かれていた「つんぼ石」と呼ばれる石にまつわる話も調べてみよう。

<見学のポイント>
  左の写真にある,柏井の交差点にある大きな楠から南西に向かう道は道幅も狭くて曲がっており,当時の様子をうかがい知ることができる。また,東光寺から定光寺に向かう山道は,丸石を敷いた場所や舗装されていない場所が残っており,江戸時代の殿様街道の雰囲気を感じられる。
  定光寺の山門の手前には池があり,その池に,2代藩主徳川光友が建てた直入橋という石橋が架かっている。この橋は「尾張名所図会(おわりめいしょずえ)」では下馬橋として紹介されており,当時の殿様や家来がここで駕篭(かご)や馬から下りて,歩いて参道を登ったと思われる。こちらも見ておきたい。

<参考資料>
  「尾張旭の道」 「瀬戸市誌 通史編(上)」 「殿様街道と町内の古道をたずねる」


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