服部 擔風(はっとりたんぷう)―漢詩の研究に熱心な詩人・書家―  <時代>昭和時代  <地域>尾張
服部擔風筆塚 服部擔風書斎(藍亭)

<関係地> 弥富市歴史民俗資料館  弥富市前ヶ須野方731 (近鉄名古屋線弥富駅下車徒歩15分)
<業績>
 擔風は,大地主の家の次男として生まれ,幼名を粂之丞(くめのじょう)と言った。幼いころから,兄と共に漢学の先生森村大朴(もりむらたいぼく)から学んでいた。大朴は,粂之丞の熱心さに感心し,漢詩をつくるよう勧めた。一宮市出身の漢詩の大家森春涛らの影響を受けた粂之丞は,呼び名を擔風と改め,詩の研究とともに詩作に励んだ。1891年(明治24),「梅花唱和(ばいかしょうわ)の詩」という漢詩を,東京日日新聞(現在の毎日新聞)に発表し好評を得た。その名は,全国へ知れわたり,詩の講義や詩作の指導に励み,この地域で漢詩が盛んになることに尽力した。
<年譜>
1867年(慶応 3) 海西郡鯏浦(うぐいうら)(現在の弥富市)に生まれる
1880年(明治13) 尾張藩儒者森村大朴に漢籍を学ぶ
1891年(明治24) 名古屋に柳城吟社を創立
1964年(昭和39) 96歳で没 勲四等瑞宝章

<学習のポイント>
 漢詩の普及に生涯尽力した擔風の生き方について考えよう。 
<見学のポイント>
 擔風の母校近くの専念寺(近鉄弥富駅下車徒歩15分)に筆塚があり,弥富市の文化財に指定されている。
<参考資料>
 「愛知に輝く人々」
<問い合わせ先>
 弥富市歴史民俗資料館  0567-65−4355

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