福島 正則(ふくしままさのり) ―賤ケ岳七本槍の一人―
<時代>
安土桃山時代
<地域>
尾張
福島正則肖像画
福島正則誕生地碑
<関係地>
あま市美和歴史民俗資料館 あま市花正 (名鉄津島線木田駅下車徒歩10分)
<業績>
正則は,1561年(永禄4)に市兵衛正信の子として生まれた。母は,
豊臣秀吉
の叔母であったと言われている。幼名を市松という。
侍になる夢を抱き続け,秀吉の家臣となり,末は,広島城主となった。
情に厚く熱血漢で愚直なまでの勇猛さと,誇りの高さと己の腕で,激動の時代を生き抜いた武将である。
武人としての才能は言うまでもなく,治水工事にたけた技巧派という側面を併せもっている。名古屋城下の堀川を開いたことはあまりにも有名である。
<年譜>
1561年(永禄 4) あま市二ツ寺(旧美和町)に出生
1573年(元亀 4) 秀吉の家臣となる
1583年(天正11) 賤ケ岳の合戦で活躍
1595年(文禄 4)
清洲城
主となる
1600年(慶長 5) 関が原の合戦。徳川方に属す。広島城主
1624年(寛永 1) 63歳で没
<学習のポイント>
正則の生きた時代の武将の考え方を調べてみよう。
<見学のポイント>
館内には,正則とともに秀吉の家臣として活躍した蜂須賀小六(はちすかころく)などの肖像画がある。
美和町二ツ寺には,正則の菩提寺菊泉院(きくせんいん)があり,位牌・肖像画など彼に関係したものが数多く残っている。
<参考資料>
「戦国武将のふるさと美和」「愛知に輝く人々」
<問い合わせ先>
あま市美和歴史民俗資料館 (052)442−8522
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