平田 靱負正輔 (ひらたゆきえただすけ)―宝暦治水を成し遂げた薩摩義士―  <時代>江戸時代  <地域>尾張
薩摩義士像 千本松原

<関係地> 治水神社  岐阜県海津市海津町油島 (名鉄尾西線佐屋駅下車 車で15分)
<業績>
 平田靱負は,薩摩藩の家老で,宝暦治水の総奉行として,我が国治水史上最大の難事業と言われた工事を指揮した。
 工事終了後の1755年(宝暦5)5月25日早朝,工事により多くの犠牲者を出したこと,巨額の工事費を費やしたことの責任をとり,自らの手で生涯を閉じた。
 辞世の句
   住みなれし 里も今更 名残にて
      立ちぞわづらふ  美濃の大牧

<年譜>
1723年(享保 8) 薩摩藩に生まれる
1753年(宝暦 3) 幕府が薩摩藩に木曽三川の工事を命じる
1754年(宝暦 4) 947名の藩士とともに薩摩を出立する
1755年(宝暦 5) 5月に治水工事が完成する。52歳で没

<学習のポイント>
 難工事の様子と薩摩義士の苦労(大榑川の洗いぜき・油島くいちがいぜき)を調べよう。 
<見学のポイント>
 治水神社には薩摩義士像のほかに記念碑がある。さらに,治水神社から南へ薩摩義士が,工事の完成後植えた千本松原が続いている。
<参考資料>
 「木曽三川流域誌」「はばたく大愛知」
<問い合わせ先・ホームページ>
 木曽川文庫 (0567)24−6233  http://www.cbr.mlit.go.jp/kisokaryu/bunko/index.html

愛知エースネットへ      トップへ