森 春濤(もりしゅんとう)−日本の漢詩壇のリーダー−  <時代>明治時代  <地域>尾張
  
森 春濤 桐うちわに書かれた漢詩

<関係地> 有隣舎石標(一宮市丹羽) 名鉄バス丹羽下車徒歩1分
<業績>
一宮市出身の森春濤は,明治初めの日本を代表する詩人である。春濤は初め医者であったが,詩作への情熱を抑えがたく,ついに廃業して漢詩人の道を歩む。そして,東京で活動の場を得てからは,日本の漢詩壇をリードする存在となった。維新後の新しい生き方を求めていた人たちに春濤の詩は新鮮な感動をもって受け入れられた。春濤の詩は多くの文人の心をとらえ,明治文学に多大な影響を与えた。あとを継いだ子の森槐南(もりかいなん)もまた天才詩人の誉れ高かった。

<年譜>
1819年(文政 2) 一宮に生まれる
1829年(文政12) 眼科医中川春作のもとで医術を学ぶ。作詩にも熱中。万松亭(のちの有隣舎)に学ぶ。
1835年(天保 6)一宮に帰り,眼科医を開業する
1862年(文久 2)「高山竹枝」を編む
1874年(明治 7)東京に移る
1875年(明治 8) 「東京才人絶句」を編集刊行。機関誌「新文詩」の創刊により,春濤の詩名は一躍高まる。1889年1889年(明治22)享年71歳

<学習のポイント>
 有隣舎で学び,大いに活躍した者は,森春濤をはじめ,大沼竹渓(おおぬまちっけい),佐藤牧山など,たくさんいたことにも注目しよう。また,明治時代に隆盛をきわめた漢詩とは,どんなものか調べてみよう。
<見学のポイント>
バス停で降りると,黒い板塀に囲まれた大きな屋敷が目に入る。それが有隣舎の建物である。門のすぐ横には石標も見られる。

<参考資料>
「愛知に輝く人々6」

<問い合わせ先>
一宮市立豊島図書館 (0586)72-2343
一宮市教育委員会 (0586)73-9111

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