横田 喜三郎(よこたきさぶろう)
<時代>
昭和時代
<地域>
尾張
横田喜三郎
<関係地>
江南市
<業績>
愛知県江南市出身の最高裁判所第3代長官。1993年(平成5)に他界するまで,多くの著書・論文を発表。国際法の世界的な権威であり,江南市が生んだ傑出した先達の一人である。
1931年(昭和6),日本の関東軍が満州事変を引き起こすと,横田は事変に際して日本政府のとった行動を,自衛権の範囲を超えるものとして,軍部に対し鋭い批判の矢を放った。このような言動は,当然のことながら右翼的な団体・個人,政治家などから激しい非難を浴びる結果となった。横田はその後も,国際連盟によって満州事変が平和的に解決されることを望むとした評論や,国際連盟脱退はかえって大きな不利益を生じると指摘した評論を発表した。
戦後,日本の憲法が定められたとき,横田の提案によって,それまでの片仮名文語から,平仮名口語で表記されることになったことは有名。これにより,憲法がより民衆に分かりやすく親しみやすいものになり,民主化に大きく寄与した。また,憲法第9条の平和主義を論じ,日本が徹底した民主主義に進むべきことを主張して広く社会に影響を与えた。常に民衆の立場から考え,法律の権威として,法は弱者のためにあるという信念を貫いた人であった。
<年譜>
1896年(明治29)
1930年(昭和5)
1960年(昭和35)
1966年(昭和41)
1979年(昭和54)
1981年(昭和56)
1993年(平成5)
江南市赤童子町に生まれる
東京帝国大学法学部教授に就任
最高裁判所長官に就任
最高裁判所長官を退官
江南市名誉市民となる
文化勲章受章
96歳で没
<学習のポイント>
横田は常に民衆の立場に立ち,法は弱者のためにあるという信念を貫いた。また,国際協調主義者として世界的視野に立ち,世界とともに歩む平和の道を提唱し続けた。世界平和に向けた具体的な業績について調べてみよう。
<参考資料>
「江南市制45周年記念要覧」「江南市史」
<問い合わせ先>
江南市教育委員会学校教育課 0587-54-1111
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