悟渓 宗頓(ごけい そうとん)  <時代>室町時代  <地域>尾張
悟渓宗頓像(愛知県丹羽郡顕宝寺蔵) 悟渓寺

<所在地> 丹羽郡扶桑町南山名本郷(名鉄犬山線扶桑駅下車徒歩15分)
<業績>  
 悟渓宗頓は,1415年(応永22)に生まれた。10歳で小僧となり,犬山の瑞泉寺をはじめ各地の禅宗寺院で禅を修めた。50歳の時,師事していた京都の竜安寺の禅師から「悟渓」の名を与えられた。応仁の乱によって,京都が焼け野原になり,宗頓は郷里に帰った。その後,美濃の土岐氏の帰依を受け,岐阜の瑞龍寺などを建立した。 また,妙心寺の住職となり,乱のため荒廃した京都の妙心寺の復興の基礎を築いた。戦国期に東海地方は,一向宗が盛んであったが,濃尾地方は宗頓の教派の禅が広がっていた。
 応仁の乱を契機に京都の文化が地方に広がっていく過程を,宗頓の事例に見ることができる。

<年譜>
 1415年(応永22) 丹羽郡南山名村に生まれる
             17歳の頃,犬山の瑞泉寺で本格的に修行。その後,各地で修禅の業に精進する
 1464年(寛正 5) 50歳の時、京都の竜安寺の雪江禅師から「悟渓」の名を与えられる
 1467年(応仁元) 応仁の乱が起こり,帰郷する
 1468年(応仁 2) 土岐氏のために,岐阜に瑞龍寺を建立。朝廷より「官寺」とする勅命が出る
 1481年(文明13) 京都の妙心寺の住職となり,荒廃した妙心寺復興の基礎を築く
 1497年(明応 6) 82歳の時,朝廷より生前より諡号(しごう)を受ける
 1500年(明応 9) 85歳の時,岐阜の瑞龍寺で死去
 1848年(嘉永元) 350回遠忌の際に,孝明天皇より「国師」の諡号を受ける

<学習のポイント>
 幕府の動揺期から戦国時代という時代を背景に,地方の有力な武士や大名が力を伸ばしていく過程を調べよう。また,戦国期に,京都の文化が地方に広がっていく様子を調べてみよう。
<参考資料>
「扶桑町史」「尾北の歴史(西村大民著)」「尾張シリーズ尾張の四季」
<問い合わせ先・ホームページ>
 顕宝寺 0587-93-2971
 瑞龍寺 http://www.zuiryo.com/

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