小川關治郎(おがわせきじろう) −二・二六事件判事 陸軍法務官− <時代>昭和時代  <地域>尾張
小川關治郎 旧日本陸軍軍服・陸軍省出入許可証

<関係地> あま市花正七反田1(名鉄津島線木田駅下車徒歩15分)
<業績>
 關治郎は二十歳頃まであま市木折で過ごした。幼いころから向学心が強かった。中学卒業後,就職したが,その後,明治法律学校(現明治大学)に入学し,座布団がすり切れるほどに国史・法律の勉強を重ねたと言われる。卒業後は判事に任命され経験を積んだ。1907年(明治40)に陸軍入隊し,軍の法務官となった。そして,1923年(大正12)に,大杉栄らが殺害された事件である,甘粕事件の軍法会議で裁判官を務めた。1936年(昭和11)に陸軍青年将校らが起こした二・二六事件で,事件関係者を裁いた東京陸軍軍法会議の判事の1人となり,判決文を書くなど会議の中心人物であった。昭和初期の激動の中を裁判官として公正誠実に職務を全うした。
<年譜>
1875年(明治8) 海東郡木折村(現あま市)にて生まれる
1898年(明治31) 明治法律学校入学
1904年(明治37) 司法省より司法官試補を命ぜられる
1907年(明治40) 陸軍法務官になる
1923年(大正12) 甘粕事件軍法会議裁判官
1936年(昭和11) 二・二六事件軍法会議裁判官
1966年(昭和41) 91歳で没

<学習のポイント>
 二・二六事件は天皇親政を目指し,青年将校が起こしたクーデターである。この事件を調べることにより,日中戦争,太平洋戦争と続く昭和前期の政治の動きを明らかにしてみよう。
<見学のポイント>
  あま市の美和歴史民俗資料館には,小川關治郎に関する勲章や軍服などの資料が展示されており,当時の裁判の様子を知ることができる。
<参考資料>
 「二・二六事件 甘粕事件 軍法会議裁判官 小川關治郎」「みわぽけっと」
<問い合わせ先>
 あま市美和歴史民俗資料館 052-442-8522

 愛知エースネットへ      トップへ