宮後住吉踊は,
豊臣秀吉の時代までさかのぼることができ,大阪住吉神社の御田植神事の奉納舞として行われたのがその起源といわれている。その後,この奉納舞を見た僧が,寺の財政が苦しかったのを助けるために,歌をうたい踊りをおどりつつ諸国を巡った。将軍家綱の頃,当時の一宮村付近に落ち着き,この付近の人々に歌や踊りを伝えたものが継承され現在にいたっている。かつては北神明町や葉栗連区の大毛, 笹野,島村,西成連区の丹羽,今伊勢町本神戸の名栗,萩原町の二子にもあったが,現在残っているのは今伊勢町宮後のみである。宮後住吉踊は,当時の具体的な姿を知ることができる県内唯一の存在である。一宮市指定無形文化財になっている。