鍋田干拓(なべたかんたく)  <始まり>江戸時代  <地域>尾張
3階建ての住居 耕作地
伊勢湾台風後の3階建て住居 一面の耕作地

<関係地> 弥富市鍋田
<概要>
鍋田干拓のもとになる八穂新田は,1835(天保6)に完成した。ところが,1837(天保8)の暴風雨や1842年(天保13)洪水など度重なる風水害により,遂に無くなってしまった。
 戦後,食糧増産を目的として,再び鍋田の干拓地化に目がつけられ,1946年(昭和21)に着工,1957年(昭和32)には第一次入植が行われた。
1959年(昭和34年)に伊勢湾台風の直撃を受け,土地が流され,入植者318人のうち133人が死亡してしまった。海岸堤防の95%が決壊した干拓地の復興は,被災後直ちに取り掛かられ,1960年(昭和35)に堤防が改良復旧された。復旧後の堤防の高さは海岸堤が6.3mとなり,また,形もオランダ式となり大きく改良された。甚目寺町に集団避難していた入植者も現地に戻り,12.2haの土地に作付けしたが,塩害がひどく収穫は4haに限られた。翌年には75haの土地に作付けが実現し,10a当たり4〜5俵の収穫があった。
伊勢湾台風の教訓から,鉄筋3階建ての耐災住居が1962年(昭和37)に完成した。伊勢湾台風から,40年ほどたって,この地区の住居も様変わりし,現在では,数戸しか残っていない。
また,この地区では,伊勢湾台風以降早場米を導入し,台風シーズンの前に米を収穫している。

<学習のポイント>
伊勢湾台風後、塩害で苦しんだ入植者の苦労を調べよう。

<見学のポイント>
伊勢湾台風後に完成した堤防と入植者の住居を見学してみよう。
以前の堤防と現在の堤防を見比べてみるとよい。

<参考資料>
「海部・津島の歴史とくらし」

<問い合わせ先>
弥富市役所 0567-65-1111

 愛知エースネットへ      トップへ