七州城(しちしゅうじょう)  <時代>江戸時代  <地域>西三河
七州城隅櫓(すみやぐら) 挙母城阯之碑(ころもじょうしのひ)

<所在地> 豊田市小坂本町8丁目 (名鉄三河線豊田市駅下車 名鉄バス市民文化会館前下車徒歩10分)
<概要>
 七州城は,挙母城(ころもじょう)とも言い,豊田市の市街地中心部を見下ろす小高い台地上にある。標高60mにある典型的な平山城で城全体の面積は約20haある。
 挙母藩二代藩主内藤学文(さとふみ)は,矢作川に近い低地に桜城(挙母城)を造っていたが,度重なる洪水のため築城をあきらめ,この地への移転を幕府に願い出て許された。1780年(安永9)に築城を開始し6年余りで完成,以後明治維新まで85年間,内藤家6代の居城となった。
 この城からは,三河の山河をはじめ,遠く信濃(しなの),美濃(みの),尾張(おわり),伊勢(いせ),近江(おうみ),伊賀(いが)の七カ国の山々が一望できるところから七州城と呼ばれた。
 隅櫓(すみやぐら)は,城の端,角に建てられた櫓で,戦いの時には敵を防ぐための施設で重要な働きをしていた。石垣は築城当時のもので,白壁の建物は1977年(昭和52)に復元されている。
 明治時代に描かれた七州城図とその図説が,七州城の様子を伝えている。
<学習のポイント>
 天守閣をもたない江戸時代に造られた城の造りや役割を考えさせる。 
<見学のポイント>
 石垣は築城当時のもので,布積みと呼ばれる石積をみておきたい。また,隣接する豊田市美術館で,当時の七州城からの眺めを味わってみたい。
<参考資料>
 「豊田の文化財」 「豊田の史跡と文化財」(豊田市教育委員会)
<問い合わせ先>
 豊田市郷土資料館 0565−32−6561

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