日近城 (ひぢかじょう) <時代>戦国時代 <地域>西三河
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日近城本曲輪 |
おふうの墓所 |
<所在地> 岡崎市桜形町般興 (名鉄バス桜形下下車徒歩7分)
<概要>
日近(ひぢか)城は,1478年(文明10)奥平貞昌(おくだいらさだまさ)が広祥院(こうしょういん)の裏山に築いた山城(やまじろ)である。標高270mの尾根の先端に築かれ,守りを重視した造りである。
奥平氏は,14世紀後半から作手に本拠地を構え,周辺に勢力の拡大を図ってきた国人領主である。貞昌は,次男貞直を日近に配し,日近奥平家の初代とした。貞直は当時三河に勢力をもっていた今川氏についていたが,1556年(弘治2)織田方についたことから日近合戦となった。この合戦で奥平貞直は,今川方の松平軍を相手に苦戦を強いられたが,日近城に戻ると城の地形をうまく生かしてよく防ぎ,ついには奥平軍の勝利に終わらせた。
その後日近は本家の支配となったが,1590年(天正18)関東に移り廃城となった。この間約100年間である。
<学習のポイント>
山城の立地条件やその造りを調べ,当時の戦いの在り方や戦国時代の状況を学習する。
<見学のポイント>
広祥院から70mほど登った尾根付近にはいくつかの平らな場所(曲輪:くるわ)や石垣が残り,山城の地形がうかがわれる。
屋敷跡近くには二代目城主奥平貞友(さだとも)の娘で,武田氏の人質となっていた「おふう」の墓が残っている。
<参考資料>
「額田町史」 郷土読本「ぬかた」
<問い合わせ先>
岡崎市教育委員会社会教育課文化財班 0564−23−6177
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