北野廃寺跡(きたのはいじあと)  <時代>飛鳥時代  <地域>西三河
講堂跡 北野廃寺阯の碑

<所在地> 岡崎市北野町 (名鉄バス北野下車徒歩3分)
<概要>
  矢作川西岸約2qの洪積台地に位置し,境内は土塁(どるい)が四方を巡り東西126.5m,南北146mに及び,壮大な寺院であったことが偲ばれる。遺構から伽藍(がらん)配置は,中央に南から塔,金堂,講堂,中門,南大門,僧房が南北一直線に並ぶ四天王寺式であった。礎石に残る心柱の直径84pなどから,塔の高さは30mに及ぶ三重塔であったと思われる。塔は法隆寺五重塔に匹敵する規模であるのに対し,金堂が小規模であるところに特徴がある。
  出土遺物には,高句麗(こうくり)様式の古瓦をはじめとして,銅製垂飾(どうせいすいしょく:寺院の荘厳具の一部),緑釉陶器(りょくゆうとうき)や灰釉陶器など優れたものが多い。
<学習のポイント>
  聖徳太子,聖武天皇の仏教を基にした国づくりと仏教の広がり,大陸文化の摂取との関連から学習したい。
<見学のポイント>
  北野廃寺跡史跡公園として整備され,伽藍配置などもはっきり分かる。特に塔心礎(とうしんそ)は,径2m余り,柱孔84p,一方に幅4p弱の水抜溝があり完全に保存されている。 
<参考資料>
  「岡崎市史」 岡崎市中学校郷土読本「岡崎」 「岡崎・史跡と文化財めぐり」
<問い合わせ先・ホームページ>
  岡崎市役所ホームページ  http://www.city.okazaki.aichi.jp/menu1.html

 愛知エースネットへ      トップへ