深溝松平家菩提所(ふこうずまつだいらけぼだいしょ)  <時代>戦国時代  <地域>西三河
本光寺(ほんこうじ)深溝松平家代々の墓 本光寺(ほんこうじ)本堂と梵鐘

<所在地>本光寺 額田郡幸田町深溝内山17  (JR東海道本線三ヶ根駅下車徒歩10分)
<概要>
  戦国時代,三河地方に勢力を広げようとした松平氏は,深溝城主の大場氏(大庭氏)を打ち破り,戦功によって一族の松平忠定(たださだ)に深溝城を与え,勢力拠点の一つとした。深溝松平氏は,松平本家(徳川氏)に従って戦功をあげて栄え,九州・島原七万石の大名となった。その後,深溝へは,島原の乱に出陣した板倉重昌(いたくらしげまさ)が入り,明治に至るまで板倉氏が治めた。本光寺は1523年(大永3)に忠定によって創建され,以来歴代の菩提所として今日に至っている。
<学習のポイント>
  松平氏が,天下統一を果たす徳川家とどのように関係をもち,それを支えていったかを考えよう。
<見学のポイント>
  西廟所には,初代忠定から四代家忠(いえただ)までと十一代忠恕(ただひろ)の墓があり,東廟所には,六代忠房から十九代忠諒(ただあき)までの人々が眠っている。
<参考資料>
  「愛知の歴史散歩」
<問い合わせ先・ホームページ>
 幸田町産業課商工観光係 0564−63−5121
 史跡 深溝松平家墓所 http://www.town.kota.lg.jp/index.cfm/12,0,172,html

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