官営愛知紡績所遺構(かんえいあいちぼうせきしょいこう) <時代>明治時代 <地域>西三河
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現存する石作りの水車場の一部 |
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<関係地>岡崎市大西町 (名鉄バス美川中学校前下車徒歩5分)
<概要>
1881年(明治14)に操業を開始した官営愛知紡績所は,明治政府が設立した最初の綿糸紡績所で,遅れていた西洋式紡績業の奨励を図るため,民間工場の模範工場として建てられた。全国では愛知と広島の二カ所に建設された。しかし,広島紡績所は,開業前に民間に払い下げられたため,愛知紡績所は,全国で唯一の官営紡績工場として,紡績技術者の養成などで指導的な役割を果たしていくことになった。工場の動力として水車が使われ,イギリスから輸入したミュール精紡機など西洋紡績機械により綿糸を生産した。開業直後は,72人の従業員がいたが,その後,1886年(明治15)に民間に払い下げられ,1896年(明治29)に火災によって建物の大半を失い消滅した。
現在は,初期の紡績所における主要な施設であった動力水系が残っており,水車場が主な遺構となっている。また,取水施設や水路も残っている。
<学習のポイント>
日本の近代化を進めるために,明治政府が行った政策について調べてみよう。
日本の近代産業が発達していく様子や特徴について調べてみよう。
<見学のポイント>
取水口(通称竜宮の淵)から工場跡までの水路沿いは,愛知紡績所の遺構を見ることができるので,見学をしてみたい。
<参考資料・ホームページ>
科学技術振興機構HP「産業ナビゲーター」 http://sangyou-db.jst.go.jp/
「岡崎市史」
<問い合わせ先>
日本高分子株式会社岡崎工場 0564−21−1227
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