東広瀬城址(ひがしひろせじょうし) <時代>室町時代 <地域>西三河
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東広瀬城址 |
西広瀬城址 |
<所在地> 豊田市東広瀬町城下(名鉄三河線猿投駅下車,さなげ足助バス百年草行乗り換え広瀬下車,徒歩1分)
<概要>
東広瀬城は,矢作川上流域屈指の平山城であった。旧名鉄三河広瀬駅の東方にある標高100mの山がそれで,眼下に矢作川の渓流を望む要害の地であった。
かつては旧名鉄三河広瀬駅の東側に深い堀割の田があったが,この深田から梅村酒造の本家前を通り東広瀬保育園までの東西200m,県道から矢作川までの南北
150mの範囲が城址である。堀田,県道,保育園の西の田畑はいずれも堀跡で,城をコの字状にとりまいている。山頂は平坦で現在は石碑が建っており,広瀬
神社が祭られている。
現地解説板によれば、1344年(興国5)児島高徳が築城したと言われ,その後戦国時代この地方の豪族の一人であった三宅氏の居城となる。川をはさんだ織田信長の家臣佐久間氏の西広瀬城と
対峙(たいじ)していた城と言える。
<学習のポイント>
城の立地条件や造りを調べ,当時の戦いの在り方や戦国時代の状況を考えよう。
<見学のポイント>
さなげ足助バス「西広瀬」のバス停を降りて藤沢町方面に歩くと,右に東広瀬城址,左に西広瀬城址が見える。東広瀬城址へは,もう1つ先の「広瀬」で降りるとすぐ前にある。山頂にある広瀬神社まで急な階段を歩いて登ると,城址の高さが実感できる。当時,この城を容易に攻めることができなかったことが分かる。
<参考資料>
「豊田の史跡と文化財」(豊田市教育委員会,昭和60年3月発行)
「図説豊田・加茂の歴史<上巻>」(郷土出版社,平成6年11月発行)
<問い合わせ先>
豊田市郷土資料館 0565-32-6561
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