青い目の人形(あおいめのにんぎょう) <時代>昭和時代 <地域>西三河
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グレース・エッサ |
歓迎式の様子 |
<所在地> 額田郡幸田町大草三ツ石18番地 (名鉄バス幸田小学校前下車,徒歩1分)
<概要>
「青い目の人形」は,1927年(昭和2)に,日露戦争以来,アメリカと日本の間で高まっていた緊張状態を,日本に人形を贈ることで緩和しようと,アメリカ人宣教師のシドニー・ギューリックの提唱によって贈られた人形である。この人形は日本の全国に届けられ,各地の小学校などで歓迎会が開かれた。その数は12,000体以上にのぼる。そして,この人形に対する答礼人形として日本からも多くの市松人形がアメリカに贈られた。この答礼人形を集め,アメリカに贈るために尽力したのが,当時,日本国際児童親善会会長を務めていた渋沢栄一である。
その後,アメリカとの関係悪化に続く,太平洋戦争開戦に伴い,敵国の人形である青い目の人形のほとんどが壊され失われてしまった。
幸田小学校に残るグレース・エッサは,1972年(昭和47)に講堂を取り壊した際に発見された。壊される運命であった人形をかわいそうに思い,だれかが講堂の中の御真影安置所(ごしんえいあんちじょ)の奥の方に隠したと思われる。
現在,愛知県内では,三河地域を中心に,9体の人形の現存が確認されている。
<学習のポイント>
当時の日本とアメリカの関係を調べて,「青い目の人形」と答礼人形との交換にどのような意味があったのか考えてみよう。
<見学のポイント>
幸田小学校には答礼人形の「みやこ」のレプリカもあり,二体を比較してみるのも興味深い。
<参考資料>
「120年のあゆみ 幸田小学校沿革誌」 幸田町立幸田小学校
<問い合わせ先・ホームページ>
幸田町幸田小学校 0564-62-0118 http://www.town.kota.aichi.jp/~kotaes/index.html
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