志賀 重昂(しがしげたか)−世界的な地理学者−
<時代>
大正時代
<地域>
西三河
志賀重昂銅像(岡崎市東公園)
インド様式の重昂の墓(岡崎市東公園)
<関係地>
岡崎市東公園 (岡崎市欠町大山田1-1) (名鉄バス東公園口下車徒歩5分)
<業績>
世界的な地理学者として知られる志賀重昂は,政治家・政治評論家・ジャーナリストとしても活躍し,多くの著書を残した。
日本の伝統美 (山水) を自然科学によって解明した「日本風景論」は,日清戦争の勝利と三国干渉という時期に刊行されてベストセラーとなった。そのころの日本は,文明開化により,欧米のものがもてはやされる傾向にあった。重昂は,古典文学からの豊富な引用と,地理学の術語を駆使し,日本の風土がいかに欧米に比べて優れているかを情熱的な文章で綴った。
「世界を旅して26万マイル」と称えられた重昂は,日本人の景観意識を一変させるとともに,日本の近代登山の先駆けにもなっている。日本山岳会は,英国人の宣教師W・ウェストンと重昂らの示唆により,1905年(明治38)に設立されている。また,国内においても,「日本ライン」「恵那峡」など,重昂が命名した名勝も数多く残り,日本の風土のよさを発見しようとした彼の姿勢を物語っている。
<年譜>
1863年(文久 3) 岡崎市に生まれる
1884年(明治17) 札幌農学校を卒業
1887年(明治20) 「南洋時事」出版
1894年(明治27) 「日本風景論」出版
1911年(明治44) 「世界山水図説」出版
1926年(昭和 1) 「知られざる世界」出版
1927年(昭和 2) 63歳で没
<学習のポイント>
日本の自然のよさを書き出してみよう。
<参考資料>
「日本風景論」飯塚書房
「志賀重昂全集」日本図書センター
「三河に学ぶ ふるさと 社会科指導資料集」三河教育研究会社会科部
<問い合わせ先>
岡崎市東公園 0564−24−0050
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