山本 源吉(やまもとげんきち)−林業の発展に尽力−  <時代>明治時代  <地域>西三河
山本源吉 岡崎市東部の山林から切り出された木材

<関係地> 岡崎市東河原町
<業績>
  旧額田(ぬかた)町(現岡崎市)は,面積が160kuで,その約89%が山林である。明治半ばまで宮崎村を中心にして,牛馬の飼料や肥料をとるために山焼きが行われてきた。ところが,山焼は周囲の私有林にまで燃え移ることが多く,植林した樹木までもが無駄になってしまった。そのため,私有林の多くが雑木林になっていた。
  明治の半ばになり,木材の需要と価格の上昇に伴い,山林改良が日本各地で叫ばれるようになった。当時額田郡会議委員であった山本源吉は,宮崎村の発展は山焼きの廃止と植林にかかわっていると判断し,山焼き廃止に向けて動き出した。村長になった源吉は,植樹営林規定を設け,杉や檜の苗の無料配布や,補助金制度を導入し,積極的に植林事業を進めた。源吉は,「大字は法人であり,公有林は親である」(「大字」は村を意味し、個人所有にしてしまうと売買されて、村有林として子孫に美林が残せない)と唱え,村有林の設定・拡張,道路整備に務めた。  
<年譜>
1852年(嘉永 5) 
1889年(明治22) 
1895年(明治28) 
1903年(明治36) 
1908年(明治41) 
1931年(昭和 6) 
宮崎村(旧額田町:現岡崎市)に生まれる
宮崎村村長となる
山焼きを廃止する
52町歩を村有林とする
500町歩の宮崎村有林事業計画書を制定する
79歳で没

<学習のポイント>
  輸入材の増加による日本の林業の現状と岡崎市の林業の現状について調べてみよう
  岡崎市宮崎町の宮崎出張所には,山本源吉の胸像があるので見学してみよう。

<参考資料>
  「三河に学ぶ ふるさと 社会科指導資料集」三河教育研究会社会科部
  「ふるさと読本ぬかた  (ふるさと額田の歴史と文化に学ぶ 額田の明治大正昭和時代 植林をすすめる)」

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