古橋 源六郎義眞(ふるはしげんろくろうよしざね) ―奥三河の農政家―  <時代>明治時代  <地域>西三河
古橋源六郎義眞 古橋懐古館

<関係地> 古橋懐古館 豊田市稲武町稲橋(名鉄名古屋本線東岡崎駅から名鉄バス足助下車,とよたおいでんバス稲武・足助線乗り換え,稲武下車徒歩1分)
<業績>
 稲武(いなぶ)にある古橋家は代々酒造を営む名家で,古橋源六郎義眞はその七代目である。 19歳で稲橋村(稲武町)の名主(なぬし)となった彼は,飢饉に備えた備蓄や,農業の振興に努めた。
 1870年(明治3)にこの地方で起こった農民による減税要求一揆(伊那県騒動)を農民の立場から解決に当たった。 また,国学と農学を中心に学ぶ郷学(ごうがく)『名月清風校』を設立して郡内の教育に貢献し,農業技術を向上させる ための農談会も設立している。その他,稲橋銀行の設立,街道の整備,林業・養蚕などの振興など,いずれも私財を投じて この地域の発展に尽くした。
<年譜>
1850年(嘉永6)
1868年(明治1)
1870年(明治3)
1872年(明治5)
1909年(明治42)
稲武の古橋家に生まれる
稲橋村(現稲武町)の名主となる
伊那県騒動起こり,仲介役として活躍
郷学『名月精風校』設立
60歳で没

<学習のポイント>
 古橋源六郎義眞は江戸時代の佐藤信淵(さとうのぶひろ)二宮尊徳(にのみやそんとく)などの農政家の影響を強く受けており,彼らについても調べてみるとよい。

<見学のポイント>
 現在,稲武町に古橋懐古館があり,彼の業績を詳しく展示してある。

<参考資料>
 「図説東三河の歴史」

<問い合わせ先>
 古橋懐古館 0536−82−2100

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